――桜の木の下には死体が埋っていて、その血液を吸い上げるから桜は綺麗な花を咲かせる。
 
 
 いつ、どこで、その事を知った(あるいは聞いた)のかは覚えていない。
 ただ、それを知ってから満開に咲き乱れる桜の木が怖くて仕方がなかった頃があった。
 だからだと思う。向かい側の家に住む幼馴染からの花見のお誘いを、当然のことのように断ってしまったのは。
 
 花見があった日から次の日、私は幼馴染からお花見を断った理由を訊かれた。
「だってだって、桜の花は怖いんだよ!?」
 私は桜の木の下に死体が埋っている事、桜が死体の血液を吸い上げているという事をそれこそまくし立てるように言った。
「そんなこと、ないよ」
 幼馴染は苦笑気味に首を軽く振った。
「だってほら、桜の花びらはこんなにやさしいもの」
 幼馴染は握った手をゆっくりと開く。
 幼馴染の手のひらに、ふわりと、淡い花びら。
 それは幻想的で、なんかあったかくて、やさしくて。
 少しだけ、桜の花が怖くなくなった気がした。
 
 後に私は、桜の木の下に死体が埋っているというのは物語の中のことで、実際に死体が埋っているわけじゃないということを知ったのだ。
 
 

 
 
「次の日曜日に花見をしない?」
 私の提案。
 校庭に植えられている桜も、そのいくつかがすでに花開いている。
 なんとなく、花見をしないと勿体ない気がしたのだ。
 ほのかに浮かれ気分なのは、きっと春だからなのだろう。
「へえ、うん。あたしは別に構わないよ」
「特に依存はございません」
 翔子と環は二つ返事で快諾してくれた。
 それから、と私は誠司の席へと向かう。
 幼馴染であり、兄弟同然に育った身である以上、ぜひとも巻き込……誘うべきだろう。
 誠司の席にはすでに先客がいた。
 といっても軽く一言二言話していた程度で、その話も終わったらしい。
「ちょっといいかしら」
「えと、な、なにかな若菜」
 何を怯えているというのだろう。失礼な。
 そりゃあ、幼き日々において、私がこう妙にテンションが高かったときには大概、誠司は何らかの被害をこうむっていたことが多かったらしいけれど。
 さすがに今になっても怯えられると失礼だ。
 まるで私が悪みたいではないか。
 いや、幼き日々に限らず最近もだろうという意見は却下させていただきたいのでありますが。
「んと、次の日曜に花見をしようと思うんだけど、誠司もどうかなと思って」
「え、僕……?」
 誠司は目を丸くして、私の言ったことを反芻しているようだった。どうやら情報の整理が出来ていないらしい。
「そう。翔子と環も一緒の予定なんだけど」
「うーん……。気持ちはありがたいんだけど、翔子さんや環さんは迷惑に思うかもしれないし」
「あたしは別に構わないけど。小学校からの仲だし、今更でしょ」
「若菜と翔子がいいと言うのなら、わたしからは依存はございません」
「えと、えと、女子ばかりっていうのがどうも気後れしちゃうし……」
「気にしないの。私と翔子は幼馴染で気を置く必要もないだろうし、環はまあ、かぼちゃとでも思えば」
「ものすごい例えですわね」
 環は苦笑していた。顔がちょっと引きつっているのは気のせいではないだろう。
「で、でも……」
「そんなに気後れしちゃうなら久しぶりに『誠司ちゃん』にでもなってみる? 今でもおかしくはならないと思うし。なにせ今でも白くて細いものね」
「……ぜひ参加させてください。ただし普通の格好で」
 誠司は陥落した。意味もなく勝利の充実感。
 そりゃまあ、私だけではなく翔子と環からも怪しいオーラが放出されていれば、陥落するのもやむなしなのだろう。
 それにしても翔子と環。あなたたちそんなに誠司の女装姿が見たいのか。私は見たい。
 本格的に頷かれても困るので口には出さないが。
 翔子の舌打ち、環の残念そうな顔を見れば問う必要もなく答えは一目瞭然であるというのは、とりあえずそこらへんにでも置いておく事にする。
 
 ふと、浅宮さんの顔が目に映る。
 いやまあ、先ほど誠司となにやら会話していたのが浅宮さんなのだから当然といえば当然なのかもしれないけれど。
「浅宮さんも次の日曜にお花見に行かない?」
 するりと、すごく自然にその言葉が口から出てきた。
 それが思いがけないことだったからなのかはわからないけれど、浅宮さんはしばしきょとんとしていた。
「次の日曜、葉籐たちと、花見、か?」
 妙に途切れ途切れの言葉。
「そうよ」と私はなんのためらいもなく頷く。
 浅宮さんはあまり逡巡するそぶりもなく、
「そうだな。それならそのお誘いに乗らせてもらおうか」
 なんて、少し笑って、嬉しそうに私からの誘いを受けたのだ。
 
 
 
 
 
 
 その日の夜。
 これといってすることもなく、居間でなんとなくテレビを見ていると、電話が鳴り出した。
 少しだけ待ったが、他に誰も出る様子がなかったので私が受話器を取った。
「もしもし、葉籐ですけど」
『早坂ですが、若菜さんはいらっしゃいますでしょうか?』
 その電話は誠司からだった。
「若菜は私だけど。それで誠司、何の用?」
『花見の件だけど、小夜に話したら小夜も行きたいって言ってきたんだけど大丈夫かな?』
 相手が私だとわかると、急にくだけた口調になる。
 といっても別に悪くは感じない。むしろいつもでもかしこまった口調をとられたほうがやりにくい。
 もちろん、誠司もそこのところはよくわかっているのだろうけれど。
 それから、先ほど話に出てきた小夜とは早坂小夜【はやさか さよ】のことである。誠司の一つ年下の妹だ。
 私のことを『お姉ちゃん』と呼んでくれるが、これがなかなか破壊力が高い。
 もう、ぎゅーってしたいくらいに。
「大丈夫だと思うけど。一応、後で他のみんなにも聞いてみる」
『ありがとう。それじゃあお願いするよ。それじゃ』
 そう言って電話は切れる。
 そうか。小夜ちゃんも来るのか。
 そんなことを思いながら受話器を戻すと、それからわずか数秒で再び電話が鳴った。
 仕方なく私は再び受話器を取る。
「はい、もしもし。葉籐ですが」
 
 

 
 
 時は流れ日曜日。花見の日。
 ちょっと懸念事項だった天気は、思いっきり快晴だった。
 夏ならこれはこれで困ってしまうのだが、今はほのかに春の息吹が感じられた。
 私は春の息吹を肺に溜め込んで、思い切り吐き出す。
 そうしてから誠司と小夜ちゃんと一緒に花見をする場所である中央公園へと向かった。
 念のために言っておくと、残念ながら誠司は女装ではなかった。
 
 誰も彼も考えることは一緒なのか、中央公園は色々な花見客で賑わっていた。
 となると気になるのは場所とりだが、それは浅宮さんが引き受けてくれたので、私たちは浅宮さんの姿を探した。
 まもなく、その姿を見つける。
 いつもの制服姿と違い、藍色のシャツにベスト、黒いジーンズという姿をしていた。なかなか似合っている。
 中性的な容姿と合わせて、思わず見ほれた。
「浅宮さーん」
 私は手を振りながら声をかける。
 どうやら向こうもすぐに私たちに気づいたらしい。
 私は浅宮さんが広げたと思われるビニールシートの上、すでに置いてあった荷物の隣にリュックを下ろした。
 まだ翔子も環も来ていないことから考えると、その荷物は浅宮さんのものだと思われる。
 浅宮さんのものと思われる荷物はとりあえずおいておいて、リュックを開く。この中にお菓子や飲み物などいくつか詰め込んである。
 食べ物や飲み物は皆で持ち寄ることになっていたので翔子や環も同様だろう。浅宮さんも。
 それから少しだけ遅れて翔子と環がやって来た。タッチの差で環が少しだけ早い。陸上部の面目躍如といったところか。
 翔子が無念そうな顔をして、自分の荷物から取り出したお菓子と飲み物を一つずつ環に渡していた。
 どうやら、また二人で何らかの賭けをしていたようだ。大方、どちらが先につくか、とかだと思うけど。
 本当に二人で賭け事するのが好きなんだなぁと、ある意味で感心が三割。呆れが七割であった。
 
 

 
 
「それでは僭越ながら、この場において年長である私が音頭をとらせて頂きます。それでは皆さん、乾杯!」
「乾杯」「かんぱいです」「かんぱーい!」「乾杯!」「乾杯」「……乾杯」
 そうして私たちは缶同士をぶつけて乾杯した。
 そのまま一気に缶ジュースをあおる。
 桜吹雪の中のこの一杯。たまらない。
 ほう、と一息ついて、
「ところで、あなたは誰?」
 私は先ほど乾杯の音頭を取った人物を見た。
 小夜ちゃんも翔子も誠司も環も(あいうえお順)視線を彼女に向けていることから、私一人が幻覚を見ているわけではないだろう。
「あー」
 と、浅宮さんが軽く頬をかく。
「ほら、一応保護者役を立てておかないと後でいろいろと面倒になるかもしれないだろう? だからウチの家政婦に来てもらったんだよ。というか、葉籐には言ったと思ったんだが」
 そう言われてやっと、誠司からの電話のすぐ後にその件について浅宮さんから言われたことを思い出した。
 いや、そういえば他のみんなには私から伝えておくって言ったはずなのに、小夜ちゃんのことで舞い上がってすっかり忘れてた。あはは。
 過ぎてしまったことはどうしようもないのだと諦めて、今度は気をつけようと思ったのだった。
 
 とりあえず、先ほどの言葉で彼女がいる理由には納得がいった。
 だが、それでも納得がいかないというか、理解できないというか、な部分。それは――
「メイド?」「メイドさんですか?」「メイドね」「メイドですわね」「誰がどう見たってメイドね」
 どこからどう見ても純粋にメイド様にしか見えませんでした。
 いや、どうりでこの辺り無駄に混みあっていたわけだ。
 ちなみに、今も何人か集まっている。
 これでは、彼らは花見に来ているのかメイドを見に来ているのかわからない。
 浅宮さんの眼力(睨みつけ、とも言う)が思いのほか強力らしく、興味本位の人は近づくことが出来ないようなのは救いだが。
 そう。あくまで眼力だけのはずだ。向こうで屍を晒している軟派そうな男どもはきっと何も関係ない。
「だからメイド服はやめろって言ったんだが」
「いいえ。そうはまいりません!」
 メイド様、なにやら熱く語りだし始めた模様であります。
「私こと長谷川美由紀【はせがわ みゆき】はメイドとなったからにはメイドの道、略してメイ道を貫き通す所存でございます。そしてメイ道には、メイド服が必要不可欠の存在なのです。ご主人様に誠心誠意御奉仕するためにも欠かすことのできないファクターなのです。もちろん、ご主人様が望むなら夜のご奉仕だって辞さない覚悟なので――」
「少し黙ってろ」
 びしっ、とメイドの長谷川さんの延髄にキレイに浅宮さんのチョップが入った。
 あ、長谷川さんがピクピク痙攣してる。
「……まぁ、彼女は一種の病気みたいなものだが気にしないでやってくれ。あれでも、メイドとしては優秀なんだ」
「あの、夜のご奉仕って」
「忘れろ。考えるな。事実無根だが、それでもおかしなことを考えるのなら、きわめて物理的な手段で記憶を飛ばすぞ」
 なんなの? と続ける前にぴしゃりと言葉でさえぎられてしまった。
 これ以上はつっこめない。おそらくだが、浅宮さんは本当にやる。殺る、とも置き換えられるかもしれない。
 私の脳裏には、まるで斬首するがごとく、長谷川さんの延髄にチョップを決めたときの姿がありありと浮かびあがっていた。
 そのあまりにも濃密で危うい空気に気づいたのだろう。他のメンバーも黙ってコクコクと頷くだけで、決してそれ以上掘り下げようとはしなかった。
 
 

 
 
「そういえば、桜の木の下には死体が埋っているって話がなかったっけ?」
 不意に、翔子がそんなことを言ってきた。
 それ自体は、何処かで聞いたことがあるような気がした。
 小さい頃はそのせいで桜の木に近寄るのが怖く感じたときがあった気がする。
 もっとも、今は桜の木の下にそんなものはないって、わかっているけど。
 なのに、
「そうだな。桜の木の下には死体が埋っているものだ。別に、死体である必要はないけれど」
 なんて、手に持った飲み物を一口飲んで浅宮さんは言った。
 その缶は見たことがないものに見えた。
「桜の木の下には想いしたいうまっていて、桜の木がその想念けつえきを吸い上げるから、桜は怖いくらいに綺麗に咲くんだろうな」
 浅宮さんは見上げていた。
 ひどく、遠い目。
 その視線の先にあったのは青空なのか、桜なのか、わからなかったけれど。
 一筋の、風。
 桜の花びらが舞い散る。
 そう、なのだろうか。
 だから、桜の花は怖いくらいに綺麗に咲くのだろうか。ひとを惹きつけるほどに。
 桜が風に乗って散ってしまうのは、遠くまで想いを届かせるため?
 動くことの出来ない桜の木の代わりに、桜の木が吸い上げた、届けられなかった、眠りつづけていた想いを届けるため、なのだろうか。
 だとすれば、それは、なんて――
 
「だとしたら、きっと――」
 そんな、誠司の呟き声が聞こえてきた。
 それは余りにも小さくて、よく聞き取れない。
 右隣に座っている私と同じように誠司の左隣に座っている浅宮さんも誠司の呟きを聞いていたかもしれないが、
 おそらくは私と同じくらいしか聞き取れなかったと思う。
 ただ、気にかかったことはそれではなくて。
 
 ――どうして、そのとき誠司は嬉しそうな、それと同じくらい寂しそうな顔をして桜の木を見上げていたのか。
 私には、その理由がわからなかった。
 
 

 
 
 浅宮さんが先ほど飲んでいた飲み物の缶を見る。
 やっぱり、それは見たことがないものだった。新製品とか、それくらいしか思いつかない。
 それがどんなものか、興味がわく。
「浅宮さん、それ、ちょっとだけ飲ませてもらっていいかしら?」
 浅宮さんは少し驚いた顔をして、自分の持っている缶と私を何度も見比べて逡巡する。
「別に構わないが、お勧めはしないぞ」
 ん、と言いながら缶を私に渡してくれた。
 軽く振る。まだ十分中身は残っているようだった。
 ちなみに、もしかしてこれって間接キスになるのだろうか、なんて思ったのはちょうど缶に口をつけたときだったりする。
 
 缶の中の液体が私の口に流れ込む。
 甘い、桃の味が口の中に広がる。
 それが通り過ぎた後、口の中にはなんとも言えない独特の味わいが広がった。
「……ってコレ、もしかして」
 ――お酒?
 私の表情を見て、私の言わんとしていたことがわかったらしく、
「だから、お勧めはしないと言ったぞ」
 なんて、あっけらかんと浅宮さんは言う。
「だ、だって、私たちまだ未成年じゃない」
 私も一口飲んでしまった手前、あまり強くは出られないのだけれど。
「十八も十三も、未成年であることに変わりはないだろう?」
 確かに、まだ四月半ばで、十四になった者はまだまだ少ないのだろうけれど。
「そ、それはそうかもしれないけれど」
 それでも、さすがに十三と十八じゃ違いは大きいんじゃないかと思った。
 
 その果実酒はアルコール度数も低く、なにより私が飲んだのは一口だけなので、さほど影響はなかった。
 浅宮さんは私からその果実酒の缶を返してもらうと、それを何のためらいもなく口をつけて中身を喉へと流し込んだ。
「知らなかった。浅宮さんってもっと、こう、法には固いほうだと思ってたけど」
「それは偏見というものだ。それに、法を遵守するのも大切かもしれないが、その枠に囚われて柔軟な思考を失うのはよくない。誤解してはいけない。法というものはあくまでも標であって、枷ではないのだから」
 言いたい事はなんとなくわからないでもなかったけど、飲酒の正当化にしては仰々しすぎると思った。
 あるいは、浅宮さんのことだから、本当に自分なりの考えを伝えただけかもしれないけれど。
「それに、別に普段から愛飲しているわけじゃない。ただ、こういう風情のある場では時に酔ってみたくなるものだ。桜にも、雰囲気にも」
 口元にわずかに笑みを浮かべて浅宮さんは流し目で私を見た。
 それをカッコイイと思ってしまった時点で、きっと私は負けてしまっていたのだろう。
 
 

 
 
 始まりがあれば終わりは必ずやって来るわけで。
 私と誠司と小夜ちゃんは帰り道を歩んでいた。
 後片付けはメイドさんの面目躍如だと言わんばかりに長谷川さんがてきぱきとあっという間に済ませてしまった。
 その動きはまさに芸術と言っても過言ではなかったと思う。
 空はすでに茜色。
 帰り道が同じ誠司と小夜ちゃんだけが今私の傍にいる。
「今日は楽しかったね」
「はい。お姉ちゃん、今日はありがとうございました」
 無垢な少女がつぶらな瞳をして言う。
 その様子は小動物のようで、本当に、かわいい。
 誠司も言葉こそ発しなかったものの、小さく頷いていた。
「また来年もその次も、お花見しようね」
 何の気なしに言った言葉。
 それに返すように、
「そうだね。来年も、その次も、そのまた次も、お花見できたらいいね」
 思わずあっけにとられるほどの、とびきりの笑顔。
 誠司のその顔は、本当に、屈託がなくて。
 だから、私は、
「とりあえず、来年はもっと楽しい花見にしようね!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――誠司のその言葉の意味も、小夜ちゃんの笑顔が一瞬だけ消えた事も、何も気づかなかったのだ。
 
 

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