果てる哀歌
「雨…………か」
人通りの無い道で、俺は空を見上げてそう呟いた。
『ポリティカル・ザ・ノース』、稲村 北都というのは、組織が俺に与えた名だ。
みなし子の俺を拾ったのは『無期限存続委員会』最高幹部会、飯谷 正義だった。
平和的人道小説ならきっとここで飯谷は愛情いっぱいに俺を育て、将来俺は人のためになるように教えられていきるのだろう。
だが、飯谷が教えてくれたのは暗殺術だった。
『ポリティカル・ザ・ノース』……都市内殲滅型暗殺者だそうだ。
市街地の人のいる建造物内においての暗殺を専門としている。
今は、飯谷に呼ばれ、『無期限存続委員会』の施設に足を向けている。
町の中の雑居ビルにしか見えないそこは、実は地下で、とても日本とは思えない実験施設が広がっている。
先の『WBライオット』と称される事件により、『無期限存続委員会』の最高幹部会の三人のうち、二人が命を落としていた。
最高幹部会の上に、総務長官という最高責任者はいるもののその存在は便宜的なものだ。
空はどんよりと雲っていた。
泣きだしそうな……空……
「おお、北都くん」
飯谷はいつも白衣を纏っていた。
現場担当より、実験や研究に熱意を燃やすタイプの人間だった。
暗殺術を教えさせたのは飯谷だったが、実際に教えてくれたのはそれ専門の人物だ。
「待ってたよ。
今日呼んだのは……見せたいものがあってね……」
飯谷は屈託なく笑った。
本当の子供のような笑み。
飯谷のもつ、最も恐ろしい表情。
この笑みで、『無期限存続委員会』の頂点まで上り詰めたのだ。
「なんだ?
久しぶりに解剖死体でも見せてくれるのか?」
飯谷の趣味は解剖だった。
いや、解体だ。
勿論、生きたまま、麻酔も無しでやるやつだ。
そして何より、解体した死体を見て、眉を潜める他人の顔を見るのが大好きなのだ。
俺も引き取られてからというもの、飯谷の解剖作業を見せつけられ、何度も嘔吐した。
そんな俺の姿を見て、飯谷はいつも屈託なく笑っていた。
さすがに何度も何度も見せられれば俺も慣れてきた。
それ以来、そういった解剖現場に連れてこられることはなくなった。
もし、俺に暗殺者としての素養がなければ、今頃俺もあの解剖台の上で解体されていることだろう。
「いや……」
階段を降りるその背中は、以前よりまた狂気に満ちている。
研究室に着いた。
ここは昔と変わらなかった。
人の手ほどもあるフックで上唇を留められ、天井からつるされている実験材料の赤。
解剖台の上の赤。
排水溝の赤。
どこもかしこも赤に染まっている中、研究員達と、飯谷の白衣だけが浮いていた。
「昔を懐かしむのはそのくらいにして……こっちにきなさい」
飯谷が着く先には、何故か女の子がいた。
「これだよ、北都くん」
「誰だ?
実験材料か?」
「いや……これは……人造人間だ」
人造人間?
「なんだって?」
「これは、脳、血液、骨格、筋肉、それらを構成する細胞さえも、完全に人工的な手段によって造った、人形だ」
自慢気な口調は、いつも俺を不快にする。
「これは先の『WBライオット』で死んだ吾妻の作成した人造人間の改良品だ」
吾妻 香苗……例の事件で死亡した最高幹部会の一人だった。
事件内容は詳しくは知らないが、飯谷の口ぶりからすると、人造人間に関わる事件のようだ。
「これの言語フォーマットは日本語に設定してあるから、日本語は話せるし、生活順応基盤に関しては米大国と日本両方がインストールされてる。
必要に応じて、米語を入力すれば、海外でも使える」
「他にはなにが出来る?」
「なにもだ。
人間が無意識下で行なう動作や行動は自動で出来る。
つまりは、歩くことは出来ても、まだ歩こうと考えることは出来ないわけだ」
悲惨だ。
「だが、命令さえあれば、これはそれに従う。
例えどんなに不条理な命令であれね……」
飯谷の顔が冷たく歪む。
「私達の研究はほぼ、完璧だった」
「ほぼ?」
「ああ、感情素子のインストールがどうも上手くいかん。
痛いとは感じても、それが感情ディスプレイに表示されない」
感情ディスプレイ?と、疑問に思って、思いつく。
顔のことらしい。
「なんだ……改良じゃなくて、改悪品じゃないか……」
「見てみたまえ」
俺の言葉を無視し、飯谷は娘の手を取った。
つと、取りだしたナイフを、無造作に突き立てた。
赤い血が流れ落ちる。
しかし、娘は悲鳴どころか、顔を歪めることすらしなかった。
「顔面の筋構造には問題はないはずだ。
人に出来ることは出来るはずなのだがな……
さあ、笑いなさい」
娘に向け、言葉を放つ。
娘の顔が、"笑った"形になった。
形だった。
人形の方がもっとまともな顔をする。
「これでは確かに……成功とはいいがたいな……」
「そこでだ……これを君にあげよう」
突然飯谷がそんなことをいいだした。
「暗殺者に仕立てるのを勧める。
感情のないこれはまさに兵士にうってつけだ。
そうそう、勿論、これを引き取っていてくれている間はこれの厄介代として更に報酬を上乗せしよう」
飯嶋はその金額を提示した。
娘を連れて、多少の危険を冒すだけの甲斐はある金額だ。
「ああ、もしやばくなったら、任務の途中で放棄しても構わないよ。
例え捕まったとしても何もしゃべらないし、検査されても問題はない」
「わかった。
引き取るよ」
しかし、俺は金がなくとも、引き取るつもりだった。
俺は娘が気に入っていた。
金以外の理由で飯谷の依頼を受けたのは初めてだった。
飯谷は、外まで俺たちを見送りに来た。
ふと、飯谷が何か思いだしたように、いった。
「……ああ、それと、これのコードネームは『クリエイティッド・エレジー』とした」
「『被創造物の哀歌』か……」
「名前というのは多少アンニュイな方が私は好きだ。
ほら、空も哀歌に涙を流しているよ……」
空からは、大粒の雨が降ってきていた。
飯谷の言う通り、まるで哀歌に、涙するかの様に……
俺は町中の安アパートに来た。
俺のねぐらはそこにある。
個人所有の物件は他にもあるが、それらは武器庫や緊急時の隠れ家として使っている。
「ここだ。
ここで生活する」
「はい、北都様」
「……様は止めてくれ」
「はい、北都さん」
俺は頭が痛くなった。
「哀歌、俺らはこれから毎日ツラを突き合わせて生きてくんだ。
そんな格式ばったしゃべり方は止めてくれ。
それと、言葉の最後のいちいち俺の名前を付ける必要はない」
御造 哀歌……さすがにコードネームでは生活に不都合があるので俺が一応に付けた名だ。
戸籍の方も『無期限存続委員会』がこの名で用意してくれるとのことだ。
「……」
哀歌は暫くジッと俺の顔を見詰め……
「それは、北都さんの言語解析基盤に私の表音システムが不快な影響を及ぼしているということですか?」
格式ばっていた。
「……まあ、そういうことだ」
「分かりました。
努力します。北都さん」
「宜しく頼むよ」
「はい、言われたことは、必ず実行します」
前途は多難だ。
しかし、俺の予想に反し、哀歌は俺の教えたことを水を吸う綿のように覚えていった。
炊事洗濯掃除に買い物。
完璧以上にそれらをこなした。
同時に、俺は暗殺者としての訓練も行なっていった。
これもまた、脅威的な才能を見せた。
そしてどれよりも積極的に取り組んだのが……感情の教育だ。
殊に、笑顔を見せるという行為の俺は奔走した。
だが、これだけはまったくといっていいほど効果があがらなかった。
そんなある日……
「北都さん、ちょっとどいてくれませんか」
掃除機を転がしていた哀歌が、俺のいる場所を掃除しようといった。
目はいつものように冷めている。
「ああ、悪い悪い」
寝転がってテレビを見ていた俺は起き上がって移動した。
と、その時、電話がなった。
「北都さん、お願いします」
「ん?ああ……」
俺は電話を取った。
「はい……」
『コード42』
聞き覚えのある声だった。
「『ナイト・フォーク』か?」
彼女は元最高幹部会の一人、見波 竹蔵の下で動いていた暗殺者だ。
まえにも幾度か、共同戦線を張ったこともある。
『そうだ、『ポリティカル・ザ・ノース』。
久しぶりだな』
「ああ。
どうだ?
『WBライオット』にも関わっていたって聞いたが……」
『まあな。
それで、私の上司の見波が死んだお陰で、残務処理が大変だ。
代わりに私も暗殺者風情から準幹部クラスまで格上げだから文句も言えんが……』
「で、なんの用だ?」
『昇進しての初仕事をおおせつけられてね……
おまえに依頼をもって来た。
どこかで会えないか?』
俺は少し考え、近所の人の入りの少ない喫茶店を指定した。
『わかった。
そこに三〇分後だ』
「了解した」
それだけいうと、俺は電話を切った。
「どなたです?」
哀歌が掃除の手を止め、感情のない目をして聞いてきた。
『おまえなどに言う必要はない』といっても、彼女は『そうですか』ときっとこともなげに応えるだろう。
「仕事だ」
正直の答えると、俺は出かける準備を始めた。
「お客様……お電話が入っておりますが……」
店のアルバイトがそう言ってきた。
約束よりやや早めに店に陣取り、コーヒーを飲んでいた。
「ああ、ありがとう」
俺はコードレスの受話器を受け取ると、耳に当てた。
『隣りにいるのは誰だ?』
やはり、『ナイト・フォーク』だ。
「……知っているだろ?
飯谷の開発した人造人間だ」
『ああ……そう言えば飯谷に妙な動きがあるとかいう報告もあったが…そうか…吾妻の猿真似研究だったのか……』
「そういうことだ。
警戒させて悪かったな。
まだ哀歌は感情素子が完成していない。
一人にするのは心もとないんでね」
『そうか……疑うような真似をして済まないな』
「気にするな。
そうじゃなきゃ生きていけん世界だからな……」
『まったくだ』
電話が切れると、それをバイトに渡した。
と、同時に、コーヒーをもう一杯注文する。
「気が利いてるな」
そのバイトと入れ替わりに『ナイト・フォーク』がやってきた。
「相変わらずだな」
相変わらずだった。
『ナイト・フォーク』は黒いコートに身を包み、短い髪を無造作に束ねている。
「そうか?
髪を切ったんだがな……」
苦笑い混じりにいう。
「……まあ、そんなことはいい。
早速だが、これが依頼だ」
『ナイト・フォーク』が写真、書類、そして、マイクロチップを机の上に放った。
「標的は反『無期限存続委員会』組織『ネルガル』の幹部だ。
一応組織頭目はいるが、実際に取りしきっているのはこいつだ。
近々、役員会議を召集するらしい。
そこを襲撃してもらう」
写真を見る。
なんてことはない普通のおっさんだ。
サラリーマンといっても通るだろう。
「服務規定は?」
「現場に存在するあらゆる書類の閲覧、持出を禁止する。
また、現場に存在する全ての目撃者を処分せよ。
但し、それ以外の証拠能力を持たない人物の殺害は許されない」
まさに、都市内殲滅型暗殺者に相応しい仕事だ。
「死体処理の方は別働隊が行なう。
標的の抹殺、及び、目撃者の始末が終わったら私に連絡をくれ。
即時、その場から撤退し、ここに来い。
その時点で報酬を渡す」
「待ってくれ、連絡といっても……俺は携帯端末は持っていないぞ」
「……おまえ、前に携帯端末は持って歩くのが面倒だから持たないとかいっていたな……」
「北都さんはいつも散らかしっぱなしですので、すぐに無くしちゃうんです」
哀歌の言葉に、俺は苦笑いした。
「おいおい……それはないだろ?哀歌……」
「事実ですよ」
『ナイト・フォーク』はにやりと笑った。
「そんなおまえでも使えるこれをやろう」
『ナイト・フォーク』が青い、小さな箱を取りだす。
「おいおい……俺と結婚するつもりか?」
それは指輪のケースだった。
中には銀の指輪が二つはいっている。
「私はもう付けている」
自分の人差し指にはまった指輪を見せた。
「これは最新の携帯端末だ。
ここに小さな穴がる」
指輪の内側に小さな穴が付いている。
「この穴が音声解析孔だ。
百%音声認識の高性能端末……もちろん、例え口を塞がれていても骨導音でも認識できる」
『ナイト・フォーク』は自分の指輪をとって見せる。
「外部入力は専用のマイクロチップで行なう。
情報検索は仮想電磁板ホログラムを使う。
で、指輪を付ける、外すで、指紋をスキャンする。
それ以外の人物が付けてもただの指輪だ。
それと、指輪をライフルに付ければスコープの代わりになる。
武器の種類さえ指定すれば風向、距離を自動計算し、実験では最低でも92.3%の命中率をはじきだした。
あまり使ってほしくはないが、最悪の場合、勿論、音声入力で爆破も可能だ。
人一人、殺すくらいの威力はある」
「はぁ……すごい機能だな……おまえが造ったのか?」
「正確には、そう指示をした。
私が組織に食いこんだ以上、こういった技術をどんどん出していくつもりだ」
「……しっかし……よく『無期限存続委員会』の固い頭を納得させられたな……」
「私が『無期限存続委員会』をやっているのは、ここの連中に誘われたからさ」
こともなげに言う。
「私がフリーの暗殺者をしていると、下手をすると『無期限存続委員会』かも知れないと恐れたからさ。
多少の無理は利く」
「なるほど……じゃあ、有難く使わせてもらうか……」
「ありがとうございます」
俺は指輪を取ると、哀歌に一つを渡し、俺も自分の指に付ける。
「薬指とは……やるね」
『ナイト・フォーク』は苦笑い混じりにいった。
哀歌は顔色一つ変えていない。
「それはそうと……この娘……感情素子の不良か……『WBライオット』の時の人造人間はそんなことなかったが……」
「ああ、飯谷も原因が分からんようだったな」
俺たちが見ていても、それに全く動ぜず、コーヒーを口に運ぶ。
「感じてはいるはずなんだ。
だが、それが理解できていないというか……頭に伝わっていないんだろうな……」
「だがまあ……このままの方がいいかもな……」
「あぁ?」
「忘れているかも知れんが、私らの仕事は人殺しだ。
それは、私らには日常でも、普通なら有り得ん世界だ。
まともな感情を手にいれたら正気ではおれんぞ……」
一理ある意見だ。
「でも……俺は……哀歌の笑顔が見たい……造りものではない……笑顔を……」
「……このままの状況で感情を持てば笑顔は笑顔でも飯谷の笑顔になるぞ……」
飯谷の笑顔……あの屈託のない笑み……
「飯谷の笑顔はまさに、至悦の笑みだ。
心からの笑みだ。
だが、裏打ちしているのは他人の不幸だ」
そうだ。
哀歌にはそんな笑みを見せて欲しくはなかった。
己の幸福の笑み……それを……俺は見たかった。
任務。
それがもうすぐ始まる。
俺はいつものレミントンM870ショットガンに十二番ゲージのショットシェルをつめこんでいた。
十二番ゲージはショットシェルではもっとも弾の粒が細かく、欧米で唯一市販しているショットシェルだ。
一番ゲージなら熊殺し用に使われるような強力な物だが、いかんせん、弾が一発しか発射されない。
弾が小さく、拡散範囲の広い、遊猟用の十二番ゲージがこのような対人発砲には向いている。
もし、即死には出来なくても、無力化は出来る。
そして、副装備の象をも殺すリボルバーのS&W44マグナムでとどめを刺す。
もしもの時のために、オートマチック拳銃、グロッグ26ももっている。
哀歌には軽機関銃、イングラムM10を持たせてある。
速射性、集弾性が高く、セミオート、フルオートの切り替えも出来、九ミリ弾を装填し、装弾数は三十発のものを使う。
副装備にはレミントン・デリンジャーを選んだ。
装弾は二発だけだが、大きさは手の平に乗る程小さい。
元々護身用以外の何者でもないので、殺傷能力は期待できないが、逆転を期すには充分だ。
「いくぞ」
俺は排気孔を匍匐前進しながらいった。
「はい」
哀歌は相変わらず抑揚のない声で答えた。
ファンを外し、床に降りた。
誰もいない資料室。
侵入は成功したようだ。
「目標はこの上の階の会議室にいる。
そこまで走る。
銃はコッキングしておけ」
哀歌は頷くと、イングラムのアームを引いた。
薬室に初弾が装填され、発砲可能な状態になる。
「セーフティーはかけておけ」
「はい」
言葉に従い、セーフティーをかける。
それを確認すると、おれもショットガンをコッキングした。
銃を手にしても、哀歌の表情は変わらない。
「スタート」
俺の言葉と同時に、ドアを開け、走りだした。
廊下に人はいない。
会議の種類は人に聞かれてはいけないものだ。
だから、上下の階には人が来ないようにしてあるのは調査済みだった。
「ここだ」
会議室のプレートがあった。
ノブを回す。
鍵はかかっていない。
「…………」
中の様子をドアに耳を当て聞いてみる。
声の数は八人。
気配は全部で十五。
残りの七人はボディーガードの類だろう。
このショットガンの装弾数は七+一発。
44マグナムは六発。
一人分、足りない。
飛びこんでからの弾を換装している余裕はない。
グロックでやってもいいが、足首に装備したこれを取りだしているのは時間がかかるし、装弾数は一〇+一ではあるものの、一発では致命傷を与えるのは難しいし、換え弾倉もない。
ならば……
「哀歌、やれるか?」
「もちろんです」
無表情に、イングラムの安全装置を外した。
俺は頷いた。
「突入だ」
扉を蹴り開ける。
資料の通り、部屋は二〇メートル四方程度の大きさ。
そこに、円卓状の会議机。
そして、やはり八人が腰をかけ、七人は部屋の端に立っている。
驚く面々、見開かれた目。
それに俺は次々に鉛弾を撃ちこむ。
初弾から七発で、立っていた七人を全員射殺することに成功した。
全員の頭がないことを確認する。
俺の横で顔色一つ変えず哀歌がイングラムを掃射していた。
既に三人が倒れ、それで四人目がもんどりうって倒れた。
「ひゃあああ!」
情けない悲鳴をあげて、部屋の反対側へ逃げる幹部の一人に俺のショットガンの弾が死を刻む。
チェンバーの空になったショットガンを降ろし、腰から引きぬいた44マグナムを構える。
「くそ!」
そう叫んでトカレフTT33を俺に向ける一人の頭を銃ごと44マグナムが粉砕する。
続いて、その隣りの、USPのスライドを引いていた一人を撃ち殺す。
「があああ!」
最後の一人が無謀にも、匕首で哀歌に特攻をかける。
当然のように、哀歌はその身体にイングラムの連射で迎えた。
痙攣するように身体を翻弄され、弾倉が空になるのと同時に、壁にもたれかかる様に崩れ落ちた。
一瞬、哀歌の顔を見るのが怖かった。
笑顔ではないかと……あの飯谷の……
幸か不幸か、その顔は変わらず無表情だった。
「……ふう……任務完了だ」
「ごくろうさまです」
任務云々より、哀歌の表情に、俺は溜息を漏らした。
と、哀歌の後ろで、何かが動く。
「死ねぇぇぇ!」
チーフスペシャルを向けている。
良く見れば、そいつは今回の標的の男だった。
最初の哀歌のイングラムの掃射の時、致命傷にならなかったのだ。
哀歌はとっさにイングラムを向けるが、弾はもうない。
デリンジャーを取りだそうとするが、その時点ですでに、チーフスペシャルの引き金は半分引かれていた。
「哀歌!」
俺は哀歌を突き飛ばした。
反動で俺も弾を避けようとするが、一瞬間に合わず、左肩を撃ちぬかれる。
「くっ!」
「北都さん!」
その隙に、哀歌が抜きはなったデリンジャーが 標的の額に命中する。
「ぎゃあああ!」
しかし、破壊力の弱いデリンジャーでは頭蓋骨を貫通できずに、その表皮を削ったのみに過ぎなかった。
だが、戦意を奪うにはそれで充分だ。
改めてはなった俺の44マグナムが標的を絶命させた。
「北都さん……大丈夫ですか?」
「ああ……弾は貫通している。
止血さえちゃんとしておけば問題はない」
「どうして……わざわざ私を助けようとなんてしたんですか?
私は単なる消耗品ですよ」
悲しそうでも、自嘲的でもない。
単なる理解できない事実から来る疑問……そんな感じだった。
「……俺にとって……おまえは消耗品なんかじゃないさ。
おまえの笑顔を見るためなら……な……」
「……笑顔……」
哀歌は笑顔を見せた。
笑顔の形をした顔。
人形の笑み。
「……無理はしなくていい。
いつか、心の底から笑える時が来るのを……俺は待っている……」
「……ごめんなさい……」
ふと、飯谷の顔が浮かんだ。
あの、屈託のない笑み。
哀歌もあんな笑みを見せるときが来るのだろうか?
願わくば、哀歌の笑顔は、飯谷のように他人の不幸などではなく、自分の幸せに見せる笑顔であって欲しい、と俺は思った。
「コール・トゥ・『ナイト・フォーク』」
回線が繋がった。
『おお、『ポリティカル・ザ・ノース』か……仕事は終わったか?』
「ああ。
標的、及び、同席していた幹部と思われる人物七名と、そのボディーガードと目される七名を殲滅した」
『ご苦労さん。
あとの片付けは処理班が行なう。
そのまま例の喫茶店に来てくれ』
「出来るなら……一度ねぐらに戻りたいんだが……」
『肩の傷のことなら大丈夫だ。
『無期限存続委員会』の救急車を用意してある』
「……何故俺の怪我のことを知っている?」
『私もつい最近知ったが、『無期限存続委員会』にはそこら中に監視装置があってね……
その一つを使っておまえ達に仕事を見せてもらっていた』
「暫く会わないうちに随分趣味が悪くなったじゃないか」
『下っ端でもだが、私のような中間管理職は特にやりたくもないことをしなければならなくなるもんだ』
『ナイト・フォーク』は自嘲気味に笑った。
喫茶店の前には確かに救急車が止まっていた。
その横には『ナイト・フォーク』が立っていた。
「……特に問題はない。
ほら、報酬だ」
カードを渡される。
「全額をおろしたら、このカードは処分してくれ」
俺は救急車に乗る。
「そうそう……」
『ナイト・フォーク』は思いだしたように、振り返った。
「……労災は降りんぞ……」
俺は苦笑いした。
特に問題はない……か……
入院はなかった。
怪我も、特に気にしなければなんともない程度まで回復した。
身の回りの世話の方は、哀歌に任せきりになっていたが、当の哀歌は勿論、それを気にする様子もない。
「なんでもやらせて悪いな……」
俺はよくそういって謝った。
「……?
どうして謝るんです?」
そういう哀歌の顔は全く変化を見せなかった。
なにも感じていなかった。
だから、やらせて悪いという罪悪感が理解できていない。
いや、理解できても、分からないのだ。
「哀歌……君が笑うのは……笑う時が来るのかな……」
俺は沈んだ声で哀歌に聞いた。
「お望みなら、笑います」
人形の笑みが、俺を更に沈ませることはいつものことだった。
そんなある日、飯谷が俺にアプローチをしてきた。
「こんにちは」
いきなり俺のねぐらにやってきた。
「あがってもいいかね?」
「いやとはいえんだろ」
俺は部屋にあげた。
キッチンでお茶をいれた哀歌が無表情なまま、居間に腰を降ろす飯谷に差し出す。
対する飯谷も表情一つ、言葉一つかけることなく茶をすする。
「で、なんの用だ?」
一抹の不快感と不安感を覚えた俺は飯谷に先を促した。
「なに、たいした事ではない。
『無期限存続委員会』の保有するあるサンプルコード819がほしい。
君の力でなんとかならんかね?」
サンプル819……解析や調査を断念したサンプルの総称である。
未知の鉱石や実験材料、実験によって偶然産みだされた物質をサンプル810としている。
811、812と解析レベルが上がっていき818が現代科学では解析不能とされた対象だ。
そして、中でも、深く解析した結果、危険と判断された対象が"819"のコードを得る。
サンプル819は永遠凍結され、二度と日の目を見ない代物となるのだ。
「サンプル819のなかに、百年前、秘密裏に開発された生体細胞片がある。
それを、捜してきてもらいたい。
名称は『サンネ・ツンネイ』だ」
「正気か?
サンプル819に手を出したら捕まって殺されるぜ?」
「君なら成功すると信じている」
「俺が取りにいかずに、このネタを『無期限存続委員会』に売ったらどうするんだ?」
飯谷の顔が、あの屈託のない笑顔になる。
「そんなことはしないさ。
その生体細胞片がある種の感情素子である可能性があると聞かされた君はね……」
つと、哀歌を飯谷は見た。
「吾妻の造った人造人間にもあれが使われていたと聞く。
これに、感情をもたせたいのだろ?
笑顔を見たいんだろ?
ならば、手伝って欲しいな」
「…………
『無期限存続委員会』の連中は人のプライバシーを詮索するのが趣味らしいな……」
「人のプライバシーを侵害するのはとっても楽しいからね」
臆面もなく、飯谷は笑った。
哀歌を見た。
表情は、変わらなかった。
その、サンプル819を所蔵する施設は首都圏近郊の地下に存在していた。
わざわざ特別予算まで捻出し、独自の組織機構と、管理システムを設定されてある。
警邏などの人員は少ない。
が、防衛システムは原子力発電所を遥かに凌駕する。
つまりは、原子力発電所など遥かに凌駕する危険な代物が多々、ここには保存されているということだ。
とはいえ、所詮は機械相手の侵入だ。
ECMやジャマーを使えば、容易に潜入できる。
「ここだ」
最後の警備システムを透過し、俺たち819管理倉庫に辿りついた。
中にはいると、実験カプセルや厳重封印の為されたボックスが存在した。
「『サンネ・ツンネイ』というサンプルを捜してくれ」
「はい」
哀歌は頷くと、プレートの確認を始めた。
俺もそれを捜す。
「これ……ですか?」
哀歌の声の方を見ると、確かにそこのプレートには『サンネ・ツンネイ』と記されている。
「これか……これで、哀歌は感情を……」
それは実験カプセルの中にはいっていた。
何か、くすんだ色の肉片だ。
カプセルを解放し、中の物を取りだそうとした時……
「動くな」
声がした。
「『ナイト・フォーク』……」
『ナイト・フォーク』は愛用のブローニング1910を俺に向け、入り口に佇んでいた。
「わかっているのか?
サンプル819は永遠封印の対象だ。
施設内での研究解析ならいざ知らず、持ち出そうなどと……」
「……この感情素子が手に入れば哀歌は感情を持つことが出来る。
哀歌の……笑顔に……」
「…………」
どちらも声を発さない。
哀歌はただ状況を見守るだけだった。
「……何故、あんな人形にこだわる?」
「飯谷は人に出来ることならできるといった。
なら、人を愛することも出来るはずだ。
……出来るなら……俺を愛することも……
哀歌が、生き方を選ぶことも出来るはずだ!」
「……」
『ナイト・フォーク』は黙って俺の言葉を聞いていた。
そして、口を開く。
「……あんたがそのお人形さんをどう考えようと、私は関係ない。
いま、あんたをここで処刑する。
だが、それが『無期限存続委員会』の利益に繋がるなら話は別だ」
『ナイト・フォーク』は表情を変えずにいった。
「飯谷の行動には、『無期限存続委員会』総務長官、斧原 武清も腹に据えかねている。
つい先日、私にも、隙あらば飯谷を排除せよとのお達しがあった。
飯谷からおまえが受けた命令は充分に反逆の意思と取れる。
おまえの証言が有れば、飯谷を追い詰めることも出来る。
手を貸せ」
……『ナイト・フォーク』のこの言葉が、百%本当とは思えなかった。
だが、今ここで『ナイト・フォーク』の申し出を断っても、待っているのは死だけだった。
飯谷に、そこまで義理が有るわけじゃない。
それに、『ナイト・フォーク』なら、こともなげに俺たちを殺すだろう。
「分かった」
俺はそうとだけ答えた。
「物分かりが良くていい。
それなら参考までに教えてやろう。
『サンネ・ツンネイ』は感情素子などではない。
無尽蔵に広がる肉体改造ネットワークだ。
『サンネ・ツンネイ』は食品を媒体に身体を侵蝕し、肉体を異常強化して、代償に精神を奪う」
『ナイト・フォーク』の言ったことを考えてみた。
しかし、この状況で嘘を言う根拠は思いつかなかった。
「おお!これが『サンネ・ツンネイ』か!」
ビルの下の施設に俺が持ってきたサンプル819を、喜色満面で飯谷は迎えた。
『ナイト・フォーク』に話では、飯谷にサンプル819が渡された後、機会を見て、脱出しろとのことだった。
その後に、潜入した工作員が現場の人間を全員抹殺。
証拠も同時に消し去るとのことだった。
「じゃあ、俺はもういくぞ」
「そんなに急ぐことはないだろ?
感情素子のほうの精製を始める。
そんなに時間はかからんさ」
『ナイト・フォーク』の言う所では、飯谷に警戒はさせるなとのことだった。
無理に断れば、警戒を煽る。
「ああ、じゃあ、見せてくれ」
飯谷は『サンネ・ツンネイ』を水槽にいれた。
「始めろ」
手近な研究員に指示を出す。
研究員がスイッチを押すと水槽の水が揺れだした。
それにあわせるかの様に、『サンネ・ツンネイ』が水の中に散り始めた。
「これは?」
「サンネ・ツンネイの成分や構成をこの特殊な溶液に馴染ませたんだ。
この中の溶液は『サンネ・ツンネイ』と同じ効果や効能を持つ」
「じゃあ、これを哀歌に飲ませれば……」
「……北都くん……
残念だが、君には残念なお知らせがある」
言いつつ、飯谷は屈託のない笑みを浮かべた。
「君は用済みになった。
『ナイト・フォーク』とのコンタクトを私が知らないとでも思ったのかい?」
背後で音がしたのでそちらを見る。
そこには、『ナイト・フォーク』がいた。
両側の警備員が、銃を付きつけている。
「悪いな。
捕まった」
「……じゃあ……『ナイト・フォーク』の話は……」
「本当だ。
別に『サンネ・ツンネイ』は感情素子ではない」
「なるほど……」
俺は笑った。
飯谷が退いた。
それは飯谷がいつも見せる、屈託のない笑みだ。
俺自身、こんな笑みが出来ることに驚いた。
「じゃあ、おまえも用済みだ」
俺は手の中のボタンを押した。
同時に、爆音が施設中に響き渡る。
「な、なに!?」
「『ナイト・フォーク』は囮だ。
哀歌は施設中に爆弾を付ける役目を見事果たしてくれたようだな」
『ナイト・フォーク』が、自分を捕らえていた警備員を振り払い脱出をしようとしていた。
「……な!
ま、まてぇ!」
『ナイト・フォーク』に追い縋ろうとする飯谷の右膝に、『ナイト・フォーク』のはなったガラス片が突き立った。
「ぐあっ!」
もんどりうって倒れる飯谷。
「いくぞ!」
そこにあった武器一式を取ると、『ナイト・フォーク』は駆けだした。
「ま、まってくれぇ!」
飯谷の悲鳴を背後に、俺たちは施設の外へと飛びだした。
施設の上のビルは崩れ、無残な瓦礫を晒していた。
人はいない。
「哀歌、無事か?」
施設の外で待機していた哀歌に安否を尋ねた。
「はい」
『無期限存続委員会』の人員管制により、近くに人が来ないようにしてあるのだ。
「……終わったのか?」
「多分な……」
「ぐ……う……」
飯谷は生きていた。
飯谷がいた部屋は爆薬の設置量が少なかったのだ。
「くそぉ……」
施設の殆どは潰れ、飯谷の研究は壊滅していた。
そこらに死体が転がっているのはいつものことだが、白衣のものは初めてだった。
「このままでは……このままでは終わらせん!」
飯谷は『サンネ・ツンネイ』の生体液をインジェクターに移す。
「ふ……自分で実験する羽目になるとはな……」
ぶつりと、自分の首筋に針を刺す。
自動で中の液体が飯谷の体内に送られた。
「はぁ……がふぉ!ごふ!」
飯谷の身体が痙攣するように、蠢く。
異様な気配が、崩れかけた研究室内を支配した。
「!」
研究所の瓦礫が動いた。
そして、それが弾けるように、飛び散った。
飯谷だった。
しかし、白衣を着ている時からは想像もつかないほど、筋肉が隆起していた。
「な……ん……」
俺は信じられなかった。
「くはは……なんだ?これは……」
飯谷は笑っていた。
屈託のない笑みで……だ。
ふと、その視線が俺を見た。
次の瞬間、その姿が消えた。
「なに!?」
「右だ!」
『ナイト・フォーク』の声。
右に俺は44マグナムを放つ。
一瞬、飯谷の姿が見え、それが掻き消えた。
飯谷が俺の発砲を確認し、回避したのだ。
「よ、よけただと!?」
飯谷が、ふいに方向を変える。
哀歌に、その拳が繰りだされた。
「させん!」
『ナイト・フォーク』が放ったナイフが飯谷の手首に突き立つ。
「ぐっ!」
『ナイト・フォーク』の十八番のナイフ投擲である。
拳の軌道がずれ、コンクリートにめり込んだ。
紙一重で哀歌には当たらなかったが、それでも、哀歌の顔は恐怖に歪むことはない。
「化け物だな……」
「私を化け物とは……ひどい言いようだな……」
飯谷はナイフを手首からひきぬく。
その傷は当たり前のように塞がった。
そして、その手で、コンクリートの瓦礫を持ち上げ、それを軽々と放り投げた。
「!」
その先には……哀歌がいた。
「哀歌!」
哀歌との距離がありすぎた。
俺に出来ること、それは……その軌道に立ち塞がること……
「ごぉ!」
俺の身体は、コンクリートにぶつかる。
骨が、砕ける。
肉がひしゃげた。
視界が霞み、口から血の味のする空気が漏れた。
世界が廻る。
俺の記憶は……そこまでだった……
「北都さん!」
哀歌は叫んでいた。
北都の身体に当たったお陰で軌道がずれ、哀歌への直撃は免れていた。
対する北都は……骨がせりだし、肉が破れ、どう見ても瀕死だった。
「北都さん……」
哀歌は北都にかけよる。
北都は瀕死ではあったが、まだ生きていた。
「……愚かな話だ。
人形のために命を捨てるとはな……」
飯谷が嘲るように笑う。
「全くだ。
とても私には真似できん」
『ナイト・フォーク』もそれに同調した。
「だが……その馬鹿さがあいつらしさでもある」
『ナイト・フォーク』はブロ−ニングに、赤いペイントのされた弾倉を装填する。
「おまえも自分らしく命を捨てるか!?」
飯谷が、再びコンクリート片を哀歌に投げつけた。
『ナイト・フォーク』がブロ−ニングでそれを射撃する。
普通なら、44マグナムでも動かせないくらいの、一抱えもあるコンクリートをブロ−ニング程度でどうにかできるはずはない。
だが……弾が命中すると、それが爆発した。
「ほほう……炸裂弾か……」
弾が、薬莢からはなたれ、弾が命中すると、弾に内蔵された火薬が爆発し、標的を粉砕する。
いわゆる、擲弾の小型版だ。
「九ミリ弾の中に、コンクリートを爆砕する程の破壊力を内蔵するとは……さすがだな……だが……」
飯谷は『ナイト・フォーク』に肉薄する。
その飯谷に炸裂弾を連発するが、容易にかわされ、一つも命中しない。
「銃口を見れば、銃など当たらぬ!」
飯谷が拳を繰りだした。
しかし、『ナイト・フォーク』は大振りのその一撃を紙一重でかわし、懐を駆けぬける。
「がっ!」
すれ違い様、『ナイト・フォーク』の放ったナイフが、飯谷の左斜めに、咽喉を貫いた。
「くっふ……この程度では……死なんぞ!」
だが、ナイフが刺さっても血がこぼれることも、死ぬこともなかった。
変わらぬ力と勢いで『ナイト・フォーク』に迫る。
「けど、頭がなくちゃ死ぬだろ?」
更に間合をあけ、『ナイト・フォーク』が再びナイフを放つ。
今度は反対の右斜めに咽喉を貫く。
「げ……ふ……」
「飯谷……おまえは力だけの雑魚だ」
冷たくそう言い放つと、『ナイト・フォーク』は留めの一撃のナイフを放った。
それは、二つのナイフを真ん中を正確に貫き、飯谷の首が宙を舞った。
「撃て!」
『ナイト・フォーク』が、哀歌に叫んだ。
哀歌は気付いたように北都の44マグナムを取ると、落ちてきた飯谷の首を吹き飛ばした。
哀歌の目に映っていたのは、その首に浮かぶ、屈託のない笑みだった。
「『ポリティカル・ザ・ノース』……駄目だな……咽喉が潰れている」
『ナイト・フォーク』はそう言うと、北都の指輪を軽く叩く。
「これで、私の回線を開け」
一瞬の間をおいて、回線が開く。
指輪が骨導音に反応し、言語を解析する。
『哀歌……あ……無事か……』
「はい……」
『ナイト・フォーク』は、哀歌の顔を見て驚いた。
涙を流していた。
感情のないはずの哀歌が……
『飯谷は?』
「安心しろ。
殺した」
『これで……安心だ』
「おい、娘が……泣いているぞ……」
『ああ……見えてるよ……』
哀歌が、半分崩れた北都の手を握った。
「北都さん……死なないで下さい……
私は……まだ教えてもらわなくてはならないことがあります……
それに……まだ笑顔を……」
『あ……ああ……目が……見えなくなった……
哀歌……俺は……君と……平和な世界で……静かに……生きて……生きたかった』
「北都さん……私は……あなたが死んだら……私は誰に笑えばいいんですか?」
『誰にでも……笑ってくれていい。
君は……初めて逢ったあの日……俺に言われたことは必ず実行すると……いったな……』
「はい……」
『『幸せになれ』……それが、俺の最後の命令だ……』
「脈が止まる」
『ナイト・フォーク』が言う。
『皆に……君の笑顔を……振り撒いて……幸せにして欲しい……
そして……時々……空を見上げて……笑ってくれ……』
「北都さん……」
哀歌は泣いていた。
しかし、笑っていた。
北都の心に触れ、幸福な思いに……笑顔が自然と出た。
「ありがとう……ございます……」
北都は息を引き取った。
「……というわけだ」
「それで、その哀歌とか言う娘はどうしたんだね?」
斧原 武清だ。
『ナイト・フォーク』の運転する車で、飯谷を処分した顛末についての報告を聞いていた。
斧原はこれで、名実ともにトップとなった。
「そこだ」
車が止まり、『ナイト・フォーク』の指差した先には、北都と同じ、みなし子を集める施設を造り、一人その中で幸福そうに笑う、哀歌の姿があった。
「……幸福そうじゃないか」
「ああ。
で、口封じはどうする?」
「……わしは不要だと思うがな……」
「……『無期限存続委員会』のトップの言葉としては甘いな……
だが、あんたがそう言うなら敢えて逆らう必要もない。
まあ、『ポリティカル・ザ・ノース』に呪われるのもいやだし……」
冗談混じりに『ナイト・フォーク』は言った。
「その『ポリティカル・ザ・ノース』くんの墓は?」
「あるわけがない。
暗殺者に墓碑などない」
「……『ポリティカル・ザ・ノース』くんは幸福だったとおもうかね……?」
「さあ?
だが、そうじゃなかったとしても、それがこの世界に身をおいた者の定めだ……ということくらいあいつも承知していただろうさ……」
「せめて、『ポリティカル・ザ・ノース』くんの分くらい、彼女に幸せがあってもいいだろうな……」
「同感だね……彼女の哀歌はもう終わらせてもいい……」
二人は、哀歌の幸福そうな顔を再び確認すると、車を出した。
哀歌は空を見た。
雲一つなく、晴れ渡っている。
哀歌は北都の顔を思いだし、屈託のない笑みを浮かべた。
自分の幸福を、その笑顔に託して……