日常的にありふれていたある事象が、普段と大きく違っていたのを観測したとき、変遷を知るのだと思う。
 だからといって、変遷を知らなかったことが、事象の変化がないということには必ずしもつながらないのだろうけれど。
 
 

 
 
 それは、九月も半ばを過ぎたお休みの日のこと。
 どこか適当に遊びにでも行こうかと思って私は家を出て、すぐにその姿を目撃することとなった。
 私の家の向かい側、誠司の家の玄関口でたたずんでいるひとりの少女。
 その姿にしばし硬直し、思わず「誰?」と言いそうになってしまい口をおさえる。
 さわやかな若草色に統一された服とスカート。少女の服装には華美すぎるところもなければ奇異なところだってありはしない。
 ただ、いつもはテールにしている髪をおろしてストレートにしているが、それだけでも幾分か印象が変わって見える。
 いや、実のところ先月の海でも髪を下ろしていたのだろうとは思うのだが、
 海の件では他に印象の強かったことがあったせいか、どうもはっきりと覚えていない。
 スクール水着とか、スイカ割りとか、なんで美由紀さんは海にまで箒を持ってきていたのだろうとか。
 
 と、彼女が私のほうに気づいたらしく、こちらを向いた。
 簡単に挨拶を交わす。
 彼女は私に、これから出かけるの? みたいなことを訊いてきたので、私はそのつもりだと答えた。
 私は彼女に、これからデートのご予定ですか? と少々皮肉げに訊ねてみたが、彼女はあっさり、そんなものだと肯定した。
 あげくに、なんだったらついてくる? みたいなことを言われて、私は少し慌てた。
 というか、見せ付けられるのはなんだかなぁと思うわけで。
 私がそう言うと、彼女は、別にそういうものじゃなくて、若菜もいた方が楽しいんじゃないかな、みたいなことを言ってきた。
 いや、だって、そういうのはなんか違うでしょうよ。
 友達同士で遊ぶというのならまだわかるのだけれど、彼女と誠司は、なんというか、お付き合いしてるんでしょうよ。
 いくら私が誠司に対して男と女という恋愛感情を含む意識が今のところないからって、そこに割り込むわけにはいかないでしょう。
 だから、私は先約があるからと丁重にその誘いを断った。
 彼女は、本気でちょっと残念そうな顔をしていたが、それなら仕方がないと納得してくれた。
 だから、そういうのはなんか違うでしょうよ。
 それともあてつけですか?
 ………………。
 一般的なデートの様式? そんなもん私に聞かないでください!
 私だってそういうデートなんてしたことないんですから。
 それから、そういうことは他人に訊かないほうがいいと思います。あてつけに思われますから。
 
 そういえば、どうして彼女は誠司の家の前にいるのか。私はその点が気になって彼女に訊ねてみた。
 彼女は微笑を浮かべながら、待ち合わせ場所をここにしてもらったからと言った。
 それにしては、まだ誠司が出てくる様子はない。
 誠司は遅れているのか。そう思いながら念のために待ち合わせの時間を訊ねてみると、約束した時間まであと四十分弱あることを知った。
 内心驚きながら、どうしてそんな早くから来たのか訊ねてみると、こうして待っている時間も楽しいからと答えた。
 そんなキモチ。なんとなくだけれど、わかるような気がした。
 
 

 
 
 街中を歩いている二人を、何故か、私は少し離れた場所から追跡していた。
 気になった、というのもあるし、興味深い、というのもあるのだと思う。
 ……見つかったら言い訳が出来ない気もするが。
「うーん、普通に二人並んで歩いてるだけか」
 せめて誠司には彼女の手を握るくらいの甲斐性というものを見せてもらいたいものだ。
 って、何を期待している私。
 
「あら、若菜さん?」
 ぽむ、と肩をたたかれる。
「ひゃああぁぁあ!?」
「きゃっ!?」
 思わず叫んでしまう。
 幸い、彼らには気づかれなかったが。
 慌てて振り返ると、そこには見知った姿があった。
「な、なんだ、環かぁ……。お、驚かさないでよ」
「それはこちらの台詞ですわ。いったい何ですの?」
「えっと、それは……」
 説明に困る。
 さすがにデートの覗き見とは言いづらい。
「あっと、ほら、あの二人、普段より親しげでしょ? 何かなって思って」
 ちょっと苦しい言い訳だったと思う。
「そう言われてみれば……そうみたいですわね。どういう事情があるのかわかりませんけれど」
 その言葉に思わず首をかしげて、でもすぐに納得する。
 
 ああ、なるほど。環はあの二人が付き合っているのを知らないのか。
 
 もっとも、彼らは恋人同士に見えなくもないものの、他の言葉で表せる関係にも見える。
 友人。親友。兄弟。あるいは――
 その先に続く言葉が、このときは出てこなかったのだけれど。
 後に、年を経て、一般的に大人と呼ばれるような年に至ったとき、それ以上にしっくり来る言葉があることにようやく気づく。
 
 ――そう。あるいは、まるで、長年連れ添った夫婦のような。
 
 

 
 
「それにしても……なんというか、めずらしいですわね」と環。
 そう。確かに、めずらしいと思う。
 だから、今日の初めに見かけたとき、思わず「誰?」と言いそうになってしまったわけだし。
 多分、双子の姉妹がいると言われても信じてしまいそうだ。
 そんな話は聞いたことがないけれど。
「ああしていると、まるでデートをしているように見えますわね」
 どきり。
 いや落ち着け。何故私があせる。
「た、確かにそう見えますですね」
 いかん。あせっているのか言葉がおかしくなってしまっている。
「もしかして、あの二人、付き合っているのでしょうか?」
「なるほど。確かにそう見えなくもないですね」
 だから、どうして言葉がギクシャクしてしまいますか。
 わずかな沈黙の後。
 じろりと睨むように環が私を見ていた。
「若菜さん」
「は、はい」
「あなたが存じ上げていらっしゃること、あらいざらい吐いてしまいなさい」
 ああ、そういえば、翔子も誠司も、私は隠し事が下手だって言っていたっけ。
 
 
 
「なるほど。そういうわけでしたか」
 結局、あの二人のことについて知っている分は全て吐かされた。
「ですけど、若菜さんはかまわないのですか?」
「なにが?」
「なにがって、早坂さんのことですわ」
 環の言いたいことが、いまいちよくわからない。
「誠司のことがどうかしたの?」
 環は「ですから……」と言いたげに軽く息を吐く。
「わたくしは、若菜さんは早坂さんのことが好きなのだと思っておりましたし、今は近すぎて意識していなかっただけで、いつかは若菜さんと早坂さんのお二人が自然にお付き合いを始めると思っておりましたのですけれど」
 なるほど。そういうことか。
「まぁ、私だってそうなる可能性をまったく考えなかったわけじゃないけどね。はっきり言っちゃうとさ、今だって、誠司のことは好きだよ。でもね、それは“そういう”好きじゃないと思うんだ。彼女が誠司に向けているものとは明らかに違うと思う。それだけははっきりとわかる。でも、恋人とか、単純に男女間のそれじゃないけどやっぱり私は誠司のことは好きで、だから、さっきみたいにふとしたことでちょっと照れたような顔を彼女に向けたときとか、ずるいなぁって思う。それはあるいは嫉妬なのかもしれない。でもそれと同時に嬉しいとも思う。それはきっと、今の私には絶対に引き出すことの出来ないものだってわかっているから。そして、私の知らない誠司を発掘した彼女に羨望の念を抱くと共に感謝もしたくなる。……なんか自分で言ってわけわかんなくなってきちゃったけど、とにかくそういうこと」
 環はふっと表情を和らげて、
「そうですか。あなたが早坂さんに抱いている感情はラブではなくライク。ですけど、それは何よりも大切なライクですのね」
 その環の言葉は、きっと的を射ていた。
 
 

 
 
「それにしても、もどかしいなぁもう」
 環を道連れにして隣につれたまま、私は二人の観察を続行していた。
「あまり趣味がよいとは言えませんわよ」
 確かにそうだ。が、なんだかんだ言いながらも結局私と一緒に二人を観察している環にそんなことを言われる筋合いはないと思う。
 
 二人は並んで歩いていた。
 ただ、それだけだった。
 手をつないでいるわけでもない。腕を組んで歩いているわけでもない。抱きしめあったことなんて、あるのだろうか?
 そんな様子だったから、つい「もどかしい」なんて言ってしまったけれど。
 だけど、しばらく二人を見ているうちに、それでいいんじゃないだろうかと思い始めている自分に気づいた。
 確かに、私が愛読している恋愛を題材にした漫画やライトノベルに比べれば、二人は淡白そうに見えるだろう。
 だけど、多分、きっと、そうではないのだ。
 それは、あくまでも私一人の推定というか憶測に過ぎないのだけれど。それでも私には、こう思えてしまうのだ。
 
 二人は、いちいち確かめ合う必要がないほど、根幹の部分では深く結びついているのではないか――と。
 
 私が誠司と共にいた時間より、明らかに彼女が誠司と共にいた時間は短くて。
 だけど彼女は私よりも、誠司の深い部分にするりと入り込んでいる。
 それが、なんだか、うらやましかった。
 兄弟同様と恋人とではそもそもの根っこが違うのだろうけれど。
 それでも、なんだか、うらやましかった。
 
 不意に、ふわりとひるがえる若草色のスカート。
 誠司の顔を覗く彼女の横顔は、とても綺麗な笑顔だった。
 同性であるはずの私でさえ、その笑顔に胸が高鳴るほどに。
 思わず、俯きがちに口元を押さえる。
 私の顔は、多分赤い。
 そっちのケはないと思っていたはずなのだけれど、あの、私ではきっと見れない、彼女の笑顔に堕ちそうになっている自分に気づいてしまった。
「やっばいなぁ……」
 小さく呟く。
 このときは、あの二人が恋人同士でよかったと切に思った。
 さすがに、百合の世界は私には遠い世界の話であってほしいと思う。
 だから、認めてしまうのはあまりにもアレかもしれないが、おそらくは、これが私の初恋だったのだろう。
 
 

 
 
 そうしてしばらくの間私たちは二人の様子を観察し続けていた。
 その最中に、なんとなく環の方を見ると、環が後ろを向いてその顔を強張らせている事に気づいた。
「あれ? 環、いったいどうし――」
 そこでようやく、後ろに気配があることに気づいた。
 そして、知る。
 その気配は先ほどからずっと無音で私たちの後ろに張り付いていたことに。
 私はそれにようやく気づいて、背中に冷たいものが走る。
 いったい、誰が、どうして、何のために、声もかけずにただひたすら後ろに張り付いていたというのだろう?
 気配は今でも極めて希薄。今は注意をかたむけているからそれに気づくことが出来たが、もしも気づかないままでいたら、後ろの存在はどこまで張り付いていたというのか。
 ……悪寒が、走る。
 
 思い切って振り返る。そこには、誰かの姿。
 いや、私はその少女を知っているはずだ。その少女は、
「え――!?」
 そう。確かに見覚えのある姿。
 だけど、何故だろう。そこにいる少女がその姿をしていることにひどく違和感を覚える。
 少女はにっこりと笑って見せた。
 だけど、その笑顔が、私の知っている少女と結びつかない。
「こんにちは」
「え、あ、う、うん。こんにちは」
 どうにかそれだけを言う。
 少女は先ほどとはまた違う笑みを浮かべた。
 冷笑だった。
「あの二人のデートを覗き見なんて、あんまり趣味は良くないね。ま、それは別にいいんだけど」
 笑顔が消える。
 本当にその少女は私の知っていたあの少女だったのか。確信が持てない。
 そのときに感じた空気が、普段とはあまりにも違いすぎた気がしてならなかったから。
「だけどね、これだけは言っておく。二人の邪魔だけは、しないでほしいし、させない。例え、それがあなたたちであっても」
 ぴしり、と。空気が凍りついた気がした。
 口の中がからからに乾く。
 空気はまるで粘度が増したように重い。
 口を開いたのは、環の方が早かった。
「あなたは……本当に、翔子、なのですか?」
 少女はまるで「何を言っているの?」と言わんばかりに私たちを見る。
「面白いことを言うのね。あたしが、神谷翔子以外の何に見えるの?」
 そうしてまた、私の見たことがない、冷笑。
 油断すれば、今にもこの身を凍りつかせられるのではないかと思えてしまうような。
 いつもの、私が知っている翔子が温かみを帯びた朗らかで、ちょっとお茶目なところのある少女なら、
 今目の前にいる“神谷翔子”は、触れたものまで凍りつかせるような、極寒の堅氷。
 単に私が知らなかったのか、それともこの少女は本当は神谷翔子ではないのか、私には判別がつかなかった。
「無数の一瞬が連なって日常を描く中で、その瞬間はきっとかけがえのないものとなる」
 透き通った瞳で、その視線は私たちに向けられているはずなのに、この少女は私たちを見ていない。
 先にある、何か別のものを視ている。何故か、そう感じられた。
「ならばあたしはそれを護ろう。あたしが影だからではなく、あたしがあたしであるがゆえに」
 ここに在るのは、本当に神谷翔子なのだろうか。
 ここに在るのが、本当の神谷翔子なのだろうか。
 私は、気づかぬうちに、私の知らない世界に紛れ込んでしまったのではないのだろうか。
 答えは……でない。
「この季節は、きっと刹那でしかないのだろうけれど。いえ、だからこそ」
 呆然としている私たちを尻目に、その少女は私たちの脇をすり抜け、街中へと消えていった。
 当然、あの二人はすでに見失ってしまっていたのだけれど。
 私たちは、まるで地面に縫い付けられてしまったかのように、しばらくその場を動くことが出来ないでいた。
 
 

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