それは、一年の、本当に初めの頃だったと思う。
 生徒達からは少し離れた場所で二人、なにやら内緒話をしているように見えた。
 片方は翔子だということはわかったのだけれど、もう片方の人物には見覚えがなかった。
 後に、彼女と話をしていたのは浅宮さんだと知ったのだけれど。
 私は二人が何を話しているのか、なるべく気づかれないように近づいてみた。
 
「ちょっと意外でしたね。『浅宮』の後継者であらせられるあなた様が名門私立とかではなくて、こんな、と言ったら悪いのですけれど、ごく普通の公立に来るなんて」
「確かにそういう案はあった。でも堅苦しくなりそうでな。どうせそのうち嫌でも『浅宮』を継ぐのなら、今のうちくらい好き勝手させてくれてもいいだろうと、そういうわけだ」
「なるほど。それが全てとは思いませんが、そういうことにしておきます」
「そうしてくれると助かるよ」
「ですが、失礼ながら、いちいち本家から離れたこの町にやってくるなんて酔狂ではないかとも思いますけれど。町外れの屋敷を買い取ってそこに住んでることも含めて、ですが」
「本家は雁字搦めにされているようであんまり好きじゃないんだ。適度な自由と適度な不自由。そのバランスが崩れるのはあまりいいことじゃない」
 ひどく、違和感。
 ちょっと話が理解しきれないのであるが、それらの話から推測すると『浅宮』とやらはどこかの名家なのだろうか。
 だとしても、どうしてそれを翔子が知っているのかもまた疑問ではあるのだが。
「それから、本当はわかっているだろう? 堅苦しいのは好きじゃない。出来れば普通にクラスメートとして扱ってくれると助かる」
 翔子は「そういえば、そういう人でしたね。あなた様は」と言いながらくす、と笑っていた。
「そうですね。そう仰ってくださるのならそういたします」
 
 その後で、翔子に浅宮さんとの関係を問いただしてみたことがあったのだが、
 小さい頃からの知り合いだと言うだけでそれ以上は何も答えてはくれなかった。
 違和感の原因であった浅宮さんに対する翔子の言葉遣いも、すぐに私たちに対するものと変わらなくなって。
 結局、浅宮さんと翔子の間にどんな関係があるのかはわからないまま、そのことに対する興味は薄れていったのだった。
 
 

 
 
 五月に入り、木々はだんだんと緑一色に染まってきていた。
 ゴールデンウィーク。日本語で黄金週間と呼ばれるそれに、意味もなくワクワクしたりして。
 そんなところがまだまだ子供なんだろうな、なんて自分のことながら思ってしまうのだけれど。
 
 
 
 私は商店街をうろついていた。
 本当は翔子や環を誘って一緒に遊びにでも行こうかとも思ったのだが、あいにくと二人は風邪でダウンしていた。
 何気なく商店街を歩いている人たちを軽く見回す。
 マスクをして咳き込んでいる人がことのほか多い。どうやら、風邪が流行っているのは間違いなさそうだった。
 仕方がないので軽くウィンドウショッピングでもした後に書店で雑誌でも買って帰ろうかと思っていたとき、向こう側から見知った人物を見かけた。
「誠司ー! 浅宮さーん!」
 その声が届いたのだろう。並んで歩いていた二人は私のほうを見た。
「あれ、若菜じゃない。こんなところでどうしたのさ?」
「それはこっちの台詞よ」
 あらためて並んでいた二人を見る。
 二人の身長は同じくらいで、やや浅宮さんのほうが高い。
「ん、ああ、ちょっと物が不足してきたんで買い足しにきたときに偶然出会ったんだ」
 ほら、と浅宮さんは買い物袋を持ち上げて見せた。
「親の手伝いで?」
「いや、今は世話役の美由紀と二人で暮らしている。覚えているか? 花見のときに保護者代わりに来てもらった」
「ああ、あのメイドさんね」
 しかし二人きりとは……。
 
 ――ご主人様とメイドの愛欲の激情(誤字にあらず)。
 
 不意に、そんな言葉が浮かんだ。いや、意味はわからないのだけれど。
「……なぁ葉籐、お前、なんか不穏当なこと考えなかったか?」
「いえいえ別に何も考えていないでございますですよ」
 ぶんぶんと高速で首を左右に振り、必死に否定する。
 私の脳裏には、花見のときに見た必殺チョップを繰り出したときの姿がまだこびりついて離れない。
「本当はそういう仕事は美由紀がやっていたし、美由紀自身も誇りを持ってつとめていたんだが……とうとうダウンした」
 言って浅宮さんは咳き込んでいる人たちをちらりと一瞥した。つまりは、そういうことらしい。
「それでもおつとめがどうのこうのと唸ってはいたが、何とか説得して休ませた」
 浅宮さんは袋を持っていないほうの手で手刀を作って振った。空気を切り裂くような音がしたような気がするが、きっと気のせいだ。
 どう『説得』したのか非常に気になったが、おそらくは聞かないほうがいいのだろう。
 
 

 
 
「それにしても、翔子も藤代もダウンか。今年の風邪はよっぽど性質が悪いんだな」
「そうみたいだね。小夜も熱出して寝込んじゃったし」
 二人はそんな会話を交わしていた。
 浅宮さんは、私のことも環のことも苗字で呼んでいたが、さりげなく翔子は名前で呼んでいた。
 それは以前からなんとなく気にかかっていたのだけど、
「浅宮さんって私のことも環のことも苗字で呼ぶのに、翔子のことは名前で呼ぶのね」
 ついに、そんなことを浅宮さんに言っていた。
 だというのに、浅宮さんはきょとんとして、
「なんだ、葉籐も名前で呼んでほしかったのか? それなら、次からそうするけど」
「いやそうじゃなくて。ただちょっと浅宮さんと翔子との関係ってやつが気になっただけだから」
「関係って言われても、昔からの知り合いってところだぞ。あんまり人に話すようなことでもないし」
 多分、それはまったくの嘘というわけではないのだと思う。
 ただ、ただの知り合いというには、あのときの翔子は異様過ぎた。
 それは、ただの知り合いというだけで片付けられるようなものには到底思えなかった。
 そんな私の思考を理解したのかどうかはわからなかったけれど。
「ま、いろいろあるのさ」
 浅宮さんは曖昧な笑みを浮かべた。
「人が思うより複雑でもないが、説明は面倒なのでね。それでもどうしても知りたいと思うのなら、場を取った後にじっくりと教えるけど」
「そこまでしなくてもいいわよ」
 私は手を振って話を打ち切った。
 どうしても、というわけではないのだろうけれど、あまり話したくなさそうに思えたから。
 
 

 
 
「浅宮さん、それは……?」
 私は浅宮さんが買い物袋とは別に抱えているものを指して言った。
 いや、その中身はわかっている。何せ、先ほどそれを選ぶのに付き添ったのだから。
 答えを先に述べると、念入りにラッピングされたその中身は、柏餅につぶらな目と身体がついたといった感じのぬいぐるみである。
 実に女の子が好みそうな、かわいらしい外見をしているのだが、公式設定というものを聞かされたときはちょっと引いた。
 柏餅くん。本名は柏原耕太郎【かしわばら こうたろう】というらしい。
 他にも桜餅ちゃんこと桜木紅子【さくらぎ べにこ】という桜餅をモチーフにしたぬいぐるみと、
 草餅をモチーフにした草柳蓬【くさやなぎ よもぎ】というぬいぐるみが存在していた。
 それで、先ほども言った公式設定とやらによると、耕太郎くんと紅子ちゃんは恋人同士で紅子ちゃんと蓬ちゃんは親友同士。
 しかし蓬ちゃんも耕太郎くんに好意を抱いており、とうとう二人は関係を持ってしまう……。
 ファンシーな外見とは裏腹に、ずいぶんと生々しい設定があるものだと思った。
 後にクラスのぬいぐるみに詳しい女子に訊ねてみたところ、本当に公式設定だったということが証明されたのだが。
 そんな公式設定を作る方も作る方だが、それを知っている浅宮さんも浅宮さんだな、と思った。
 あと、そんな設定を妙にまじめな顔をして聞いている誠司も誠司だと思った。
「そして、『裏切ったのね。私を裏切ったのね』と言いながら凶刃をその背に」
「ゴメン浅宮さん。もうそれ以上聞きたくない」
 そんなファンシーでかわいらしいぬいぐるみへの幻想をそれ以上ぶち壊されたくなかった。
 二人は残念そうな顔をしていた気がするが、気のせいだということにした。
 
「でも、浅宮さんって、そんな趣味があったとはね」
 ラッピングされたぬいぐるみを見ながら少しにやけ気味にそんなことを言ってみる。
「いや、これは美由紀へのプレゼントだぞ」
 それがあたりまえかのように言う浅宮さんの言葉にはあせりの色がまったく見られなかった。
 実のところ、誰かへのプレゼントだということは予想がついていた。
 そりゃあ、そこまで念入りにラッピングされていれば気づかない方がどうかしている。
「何せ、五月五日。俗に子供の日といわれるその日が、美由紀の誕生日なものでね」
「あ、そうなんだ」
 少し驚いたように、誠司。
「それじゃあ僕も何かお祝いしてあげた方がいいのかな?」
 浅宮さんは苦笑して、手を振る。
「いやいや、そこまでしてもらう必要もないよ。去年もそうだったけど、内々に祝うだけで十分だから」
 
 ――ご主人様とメイドの爛れたバースデイ。
 
「若菜……。いいかげんにしないと埋めるぞ」
 どこに!?
 どうして考えてることがわかったの!?
 誠司は首をかしげているから口に出したわけじゃないはず。
 というか本当に私のこと名前で呼んでるし!?
「あのな、確かに美由紀は何かにつけメイドの格好をしているメイドスキーだということは認めざるを得ないだろう。実際、もう商店街とかでは違和感がなくなっているほどらしいからな。だけど、だけど、外出するときくらいメイド服はやめろと言いたい。というかプライベートのときまでメイド服つけるなと声を大にして言いたい」
 私服を持っているのかどうか疑わしくなるよ、本当に。と浅宮さんはややボリュームを落として呟く。
 最初は私に対しての言葉だったはずなのに、いつのまにか長谷川さんに対するぼやきに変わっていた。
「え、美由紀さんってメイド服以外持ってないの?」
「いや、とりあえず寝間着はある。さすがにメイド服のままで眠りはしないだろう。それでも、風邪で寝込んでいるとはいえ、日のあるうちにメイド服を着ていない美由紀は本当に新鮮に感じられたよ」
「それってやっぱりメイ道ゆえなのかな?」
「そうなんだろうな、やっぱりメイ道なんだろうな。意味はさっぱりわからないけれど」
「『メイ道とは、尽くすことと見つけたり』?」
「あー、そうだな。それいい表現かも」
 なんか二人はメイ道談義で盛り上がっているみたいなのだけれど。
 でも、こんな街中でする話じゃあないと、私は思うのですよ?
 そこのところどうかなぁ、お二人さん。
「“愛欲の激情”だとか“爛れたバースデイ”だとか考えていた若菜にいわれる筋合いはない」
 バレてる!? やっぱりバレてる!?
 
 

 
 
「そういえば、美由紀さんは今年の誕生日でいくつになるの?」
 誠司は無垢な顔でそんなことを問い掛けていた。
「……まぁ、今はセーフだろうけど、気をつけなくてはいけない。女性の年を聞くのは時として酷く危ういのだから。通称クリスマス(二十五)以上で未婚の場合は特に注意が必要だ。で、美由紀の年か。確か、次の誕生日で二十二歳になるはずだと思ったけど」
 そりゃ、当然って言われれば当然なんだろうけれど、長谷川さんって私たちより年上なんだよね。
 今まであまりにも自然だったから気にしてなかったけど、浅宮さんはそんな長谷川さんを呼び捨てで呼んでいるわけで。
 だけど、私たちにはわからない主従関係がそこにはあるんだろう。
 花見のときの様子からいっても、長谷川さんもそれが当然のことのように受け止めていたみたいだし、ここで私がそれについて注意しようとするのはもしかしたら、野暮なことかもしれない。
 そう思ったから、私はあえて何も言わなかった。
 
 ――そう。所詮、私一人が窺い知ることのできる世界なんて本当にすごく限られている。
 もっとも、それを思い知ることになるのは、もっと後々になってからなのだけれど。
 
「それで、やっぱりできることならお祝いしてあげたいと思うんだけど」
「それについては私も同感ね。知らない仲というわけでもないし」
「そこまで言うなら断る理由もないけど。でも二人とも家の場所知っているのか?」
 誠司は首を横に振っていた。
 あいにくと私も知らない。
 その様子を見て、浅宮さんは肩をすくめた。
「だろうな。そう思った。なんだったら今から家に来るか? もちろん、二人が望めば、なんだけど」
 言ったとおり美由紀は具合が悪いからたいしたおもてなしはできないと思うけど、と浅宮さんは少し申し訳なさそうに言う。
「別にそんなこと気にする必要はないわよ。それよりむしろこっちが長谷川さんのお見舞いをしてあげるべきだと思うもの」
 誠司もこくこくと首を縦に振っていた。
 浅宮さんはくすりと笑って。
「そうか。そう言ってもらえるとありがたいよ。美由紀も果報者だな」
 
 ちなみに、結局のところ私は長谷川さんの誕生日を祝うことはできなかった。
 タイミング悪く、その日に風邪にかかり寝込んでしまったのである。
 
 

 
 
 町の外れにあった『そこ』に辿り着いたとき、私と誠司は思わず言葉を失った。
 忘れかけていた記憶。
 幼かったころ、おばけが出るんじゃないかとさえ思っていたぼろぼろの屋敷。
 それはすっかり改装され、かすかに記憶に残っているあのぼろぼろだったころの名残などは微塵もなかった。
 
「それじゃあ上がってくれないかな。もっとも、たいしたもてなしは出来ないだろうけど――」
 中に入ったとき、浅宮さんは目を丸くしていた。
「葉籐様、早坂様、ようこそおいでくださいました」
 
 そこには、
 
 明らかに熱っぽい顔をして、
 
 マスクをつけたメイド様。
 
「なあ、美由紀、ちょっと訊ねていいか?」
 浅宮さんはこめかみに手を当てながら苦い顔をしている。
「はい、何でございましょうか?」
「お前、なんで起きて働いているんだ?」
「それはもちろん、メイ道を貫き通し、誠心誠意ご奉仕するためです!」
 ぶつり、と。
 何かが、ぶち切れるような、音が、聞こえたような、気が、した。
 
 
 
 まるで弓の弦を引き絞るかのように、浅宮さんはその腕をあげ――
「風邪ひいているときくらい、素直に休めぇぇぇっ!」
 その恐るべき一撃を、私はきっと忘れることはないだろう。
 
 

戻る




100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!