第二章 ハタ迷惑ナ来訪者達



「あなたが私のご主人様?」

 突然幸助の前に現われた、翼を生やし青い鎧を着た女が、幸助を見るなりいきなりそう訪ねてきた。取りようによっては誤解を受けかねない、ダイレクトな質問である。

「は・・・えっと・・・・・・ええ?!」

 もちろん、事情が把握できていない幸助は、その質問に答えることができない。混乱する幸助は、激しくうろたえていた。初対面の言葉がよりにもよって『あなたがご主人様?』、混乱するのも当然のことだ。

女は幸助の顔をしげしげと覗き込み、細い顎に手を当てる。

「うーん、悪くはないわねえ。でも、しまりがないわ」

「余計なお世話だっ!」

 幸助は条件反射でそう叫んだ。今朝も同じ事を言われたが、そんなに自分はしまりがないのだろうか?

「元気は良いみたいね」

 女は幸助よりも頭一つ分高かった。もとより、幸助が男子の中で低いだけだが、それでも女の身長は高い。170はあるだろうか。

 それに格好が、あまりにも現実離れしていた。

 鎧。女は鎧を着ていた。全身を覆うものではなく、どちらかというと露出度が高い軽量鎧だ。それはブルーエメラルドのように青くすんだ色をしている。

 そして何より目を奪うのが、その女の背中から生えた、一対の大きな翼であった。淡く光を帯びながら、水の中を漂うようにゆらゆらと空中に揺れている翼。それは、その女の姿を隠してしまうほどに大きく、そしてなんの羽毛よりも柔らかそうだった。

 だがこのご時世、こんな格好するものは珍しい。むしろ、いない。

「・・・・・・コスプレ?」

 ごつん。

 幸助が思ったことをそのまま口にすると、速攻でその女に頭を殴られた。

「んなわけないでしょうが! 何でこんな時にコスプレしてまで、あんたの前に出てこなきゃなんないのよ!」

「・・・そりゃそうだ。でも、それがコスプレじゃないなら、オタクか・・・」

 ゴイン。

 さっきより、微妙に力のこもった拳で頭を殴られる。

「・・・違うのか」

「当然でしょうがっ! そんなもんコスプレよりタチ悪いわ!」

 言われてみて、確かにそう思う。だがそうでもないとすると・・・・・・

「で、誰?」

 ゴゴイン

「いたたた。に、二発連射で殴りやがった・・・器用な奴・・・・・・」

「だああああぁぁーーっっ、何でお前はこれ見て分からないんだあああっ!」

 じれったいと言わんばかりに頭を掻きむしり、女は力一杯叫んだ。

「あなたには私が何に見えるの?! 人間? コスプレマニア? オタッキー? それ以外になんにも思わないわけ?!」

 女は半ヒステリック状態になりながら、幸助に詰め寄った。

「何も思わないわけじゃ・・・・・・」

 幸助は詰め寄られた分後ずさりながら、そう言った。

「じゃあ何よ? また変なこと言ったら、次はドブ川にあんたのどたま(頭のこと)ごと突っ込んでやるからね?」

「・・・・・・・・・・・・精神異常者・・・・・・?」

 プチッ。

「うがあああああああああああああぁぁぁぁぁーーーーーーーっっっっっ!」

 女は先の宣告通り、幸助の頭を両手で鷲掴みにし、自分の目線まで持ち上げた。華奢な腕にもかかわらず、ものすごい怪力だ。

 ゴスッ!

 一度大きくヘッドバッドをかまし、女はもだえる幸助を地面に放った。

「何なの? 私はそんなにおかしいわけ? 男だから、これ見て感動ぐらいするもんじゃなかったの? この世界じゃあ、女の天使がそんなにおかしいわけ? 鎧を着ていたら、それだけで全員頭がおかしいやつなの?」

 相当ショックだったのだろう、女は涙をつり気味の大きな瞳に溜め、嘆いた。

「・・・・・・なんで女の私にそんなこと言うのよっ!」

「へ? 天使? マジ?」

 さあ泣くかと思いきや、女は脇に差してあった二本のうち、長い方の『剣』を引き抜いた。目を白黒させて混乱する幸助に向かって剣を掲げる。

「コロスッ!」

「ってえええっ! タンマタンマタンマっ! そこストーーーップ!」

 その剣先が、自分に向けられるやいなや、幸助は女を両の手で制した。

「悪かったよ、謝る、謝るからっ! 頼むから剣だけは向けないでっ」

 事の重大さにいまさら気付いた幸助は、そう言って、女の剣から何とかまぬがれた。

「はあ・・・・・・分かればいいのよ」

 女は呆れたように一つため息をつき、剣を鞘に収める。案外、素直に矛をしまったものだ。

「いつまでやってもきりがないから」

 どうやら敵意はないらしい。どころか、女は幸助に軽く微笑んでみせた。

「戦の天の使い、ヴァルキリー。汝の呼びかけに応え、我が命、汝の刃となりましょう」

 女、ヴァルキリーは片膝を突き、うやうやしく幸助に頭を垂れた。

 天の使いとは翼を持つ者、つまり天使だ。その刃とは、幸助の剣となりまた盾となって、幸助を護るという意味である。それも、命がけで。

 その意味が理解できないほど馬鹿でない幸助は、それを聞いて思考が止まった。

「えーーーーーーーーーーっ????」

 どうやら、事は重大だけでは済まされないようだ。

 というか、この人の死活問題?

「? どうしたのよ」

 ヴァルキリーは幸助のすっとんきょうのような声を聞いて、顔をしかめた。

「だ、だって、い、今命掛けるみたいな事を」

「言ったわよ」

 あっさり。

 ヴァルキリーは、「だから何?」みたいな顔をして幸助を見た。

「何でそんなに平然なんだよ」

「なんでって、普通よ」

「うわわわわわ」

「?」

 うろたえる幸助を、ヴァルキリーはただいぶかしげに見つめている。

「問題ないでしょ?」

「大ありだ! 俺が困る!」

「何よ、自分から呼んでおいて失礼ね」

「だから呼んでねえっての!」

「もういいから、名前教えてくれる?」

「よくねえっての! ヴァルキリーだか何だか知らねえが、俺にいったい何のようだ! わけ分からねえこと言って勝手に現われて命掛けられてもこっちは困るんだよ!」

「はぁー」

 ヴァルキリーは深いため息をついた。

「分からず屋なガキは、嫌いよ」

「えっ・・・ってうわあっ!」

 どかばたん・・・・・・。

「大人しくしなさい! この頑固者!」

「うわっ、こらてめえ、なにしやがうがっ」

 ヴァルキリーは幸助に飛びつき、しばらく取っ組み合って弱小幸助を組み伏せた。

「わけ分からないのはこっちの方よ。ったく、面倒臭い奴に当たったわね」

「面倒臭いとはなんだ、があっ、あだだだだだだ」

 ヴァルキリーはしめる腕をさらにねじ上げた。幸助は地面をバシバシ叩くが、いっこうにかまわず、ヴァルキリーは続けた。

「さて、もたもたしてられないから、さっさと契約してちょうだい。こっちにも長くいられないから」

「け、けいやく・・・・・・な、んだよ、それ」

「・・・・・・馬鹿っ! んな事も分からないのかお前は! こぬ、こぬ! いっぺん死んでこい!」

「痛い痛い痛い! わらかったから、何でもするからもうギブギブ! ああぁぁ、痛い痛い痛い! っつうかやめてそれ! 痛いから! マヂでそれははずれるから!」

「・・・・・・分かればいいのよ」

 ヴァルキリーは、渋い顔のまま幸助の上からおりた。

「で? どうすりゃ良いんだ?」

 地面に座って、立ち上がれないままの幸助は開き直って言った。

「簡単よ。すぐにすむわ」

「だからどうするんだよ」

「こうするの」

 そこからは問答無用だった。

いきなり幸助の傍らにしゃがみ込んだヴァルキリーは、幸助の腕をとって、その手の甲を爪で切り裂いた。ぷっくりと滲んだ血をぬぐい、自分の露出した肩になすりつける。今度は自分の手の甲に同じことをして、それを幸助の傷口になすりつけた。傷口はすぐに消えた。

これが、ヴァルキリーの契約『青の血印』である。

「・・・・・・これが、契約なのか」

「ええそうよ」

 幸助は、切れていたはずの腕をかざしてしげしげと眺めていた。そこには傷口のあとは全くない。ただ手首には、幾何学的な青い紋様が腕輪のように広がっていた。ヴァルキリーの肩にも、同じような紋様がある。

「いい加減、名前ぐらい教えなさいよ」

「不機嫌だな」

「慌てたり、怒ってみたり、呑気なものね。誰のせいだと思ってるの?」

「なんだよ、責任転嫁か? まあいいや、俺は東、・・・幸助だ。これでいいだろ、俺の目から消えてくれ」

 幸助が投げやりに言うと、ヴァルキリーから、予想できた返答をしてきた。

「それはできないわ。一度契約した以上、私は幸助についていかないといけないからね」

「何だよ、それ。一方的すぎるぞ」

「まだ分からないのね」

 ヴァルキリーは、哀れむ目で幸助を見下ろした。

「あなたは、私を『召喚』したのよ。天界という『異界』からね。それに気付いていないあなたは、よっぽどのアホよ。今までも、それなりのきっかけを作ってきたのに、あなたは全然気付かないふりをして無視し続けた。いい加減待つのも疲れたし、無理矢理出てきてやったのよ。有り難く思いなさい」

「・・・・・・有り難くねえし、よくわかんねえな」

「聞こえてるよ、そこ。死にたい?」

「うううう、なんだよ、俺には人権無しかよ」

 幸助は涙を流しながら、その場にうなだれた。ヴァルキリーは、そんな幸助を楽しそうに見下ろしていた。

「さて、どうしようかな、これから」

 座ったままあぐらをかき、幸助は呟いた。実のところやることはこれといってないのだ。

「暇なの?」

「残念ながらな」

「ふーん、じゃあこの辺教えてよ。来たばっかりだから全然分からない」

「自分でやってろよ。道に迷えば、翼があるんだから飛べば戻ってこれるだろ」

「何でそんなこという? あんた、日頃からそんな風なわけ?」

「ほっとけ」

 つーんと幸助はそっぽを向いた。

「一人にしてくれよ」

「何よ、つまらないわね」

 ヴァルキリーは幸助の隣りに立ち位置をずらし、そこから腕を組み、壁にすがると動かなくなった。どうやら、本当に幸助のそばから離れることはできないらしい。

 黙り込んでしまったヴァルキリーを見やり、幸助はため息をついた。

 アスファルトからかげろうのように舞い上がる熱気をぼんやりと眺めていると、幸助は再び眠気に襲われた。

「なあ」

 その眠気を紛らわすために、隣にいるはずのヴァルキリーに話し掛けた。

「・・・・・・何よ」

 しばらく返事がなかったものの、返事が返ってきた。

「召喚、って言ったよな」

「ええ」

「・・・・・・いや、やっぱいい」

 それを聞いてどうするのかと思い至り、幸助は聞くのを止めた。

「そう」

 ヴァルキリーはそれだけを言って再び黙り込む。彼女はあまり追求してこなかった。

「・・・・・・あじい」

 幸助がそう呟くと、ふと日影が差した。上を見ると、ヴァルキリーの片方の翼が日陰を作っていた。

「・・・・・・日射病になりたいの?」

 ヴァルキリーはそうすることが当然のように、言った。

 なんだかんだ言っても、結局はそういうことである。

「何だよ、いい奴じゃんか」

 ヴァルキリーにも聞こえないように幸助はつぶやき、立ち上がった。

「うっし。しょうがない。町を案内してやるよ」

 そういうと、ヴァルキリーの表情が一変した。

「ホント? ありがと」

 そう言ってヴァルキリーは笑顔を作った。

 幸助は少し赤くなってこめかみをかいた。

「じゃあ早速行きましょう」

「ちょっ、ちょっと、タンマ」

 ヴァルキリーが幸助の腕をとっていこうとするのを、幸助は手で制した。

「何?」

「その前に、その格好どうにかならないか」

 ヴァルキリーは自分の姿を見下ろした。青い鎧が太陽の光を反射して輝いている。そして頭を上げ、回りを歩く者達の格好を確かめた。

「確かに、ちょっと目立つかな。なら、少し待って」

 言うと、ヴァルキリーは自分を自らの翼で覆い隠した。

 そして、その翼が光の羽根となって散った。

「じゃ、行きましょ」

 そこには、普通の服を着た少女がいた。その姿には翼も、鎧もなかった。

 幸助はそれにあっけをとられながら、ヴァルキリーに引きずられて町を案内することになった。

「なあ」

 幸助は、前を上機嫌に歩くヴァルキリーに、げんなりとしたように言った。

「なによ」

 ヴァルキリーはくるりと振り返ってその顔を幸助に見せた。・・・・・・口元にクリームを付けて。

「町を案内するって言ったよな?」

「そうよ、今こうしてしてもらってるじゃない。で?」

「なんでアイス食ってんだよ!」

「・・・・・・あははは。良いじゃない別に」

 ヴァルキリーは両手にアイスクリームを握ってけらけらと笑った。右手にはチョコチップとバニラのダブル。左手にはストロベリー、メロン、キャラメルのトリプルが握られている。

「どっから盗ってきた!?」

 そういうことである。幸助が気付いてヴァルキリーを見てみると、こうしてすでに持っていたのだ。

「何処だって良いじゃない。おいしそうだったんだもん」

 幸助は拳をワナワナと震わして、叫んだ。

「そういう問題かあぁーっ!」

 そしてヴァルキリーの両肩を掴み、

「どっからだ、どっから盗ってきた? 他には何も盗ってないよな? 盗ったのはそれだけだよな!?」

「え、ええ。まあそうだけど」

「はあぁー。良かった」

 そしてヴァルキリーの片から手を離す。

「何よ、そんなに」

 怪訝そうな顔をするヴァルキリーに、幸助は真面目顔で言った。

「お金って知ってるよな?」

「へ? この世界にもあるの?」

「当然じゃあぁぁーーー」

 幸助は頭を抱えて絶叫した。

「お金が無くて何で生活できるって言うんだよ。こんなゲームネタな落ちなんて嫌だあぁーっ!」

「しまりがないのにいつになく元気だな、東」

「へっ?」

 幸助はその聞き慣れた嫌みったらしい声に振り向いていた。

「よう」

 そこには海ノ瀬晦が、私服姿で立っていた。普段は垂らしている腰まであるロングを、前髪だけ残してポニーテールにしている。学校にいる時よりは、幾分活発に見えた。

「げっ。・・・・・・何してるンスか。ウミさん」

 幸助の表情は一気にどんよりし、恨めしくその顔を見た。

「人を見て、『げっ』は無いだろう。ま、なあに、通りかかっただけだ」

 ニヤリ。

「口元、笑ってますよ」

「おっと」

 指摘され、晦は口元を片手で押さえていつものポーカーフェイスに戻すと、

「どうやら、成功したみたいだな」

と淡々と言った。

「へ? 成功?」

 話が見えず、幸助は首をかしげた。ヴァルキリーは、晦の顔を不安げな顔で見ていた。

「昨日、遙さんに手紙を渡しておいたはずだが、読まなかったのか?」

「え? ああ、あれ・・・・・・」

 幸助はポケットに突っ込んであるはずの手紙を思い出した。だが、あれはもうそのまま洗濯機の中ででかき回しているはずである。原型があるかどうか。

「全て分かったというわけではないが、私の推測は正しかった。先日のお前の症状、古文書をあさって見つけたぞ。4500年前の異界だ」

「異界?」

「まあそお話は後だ。・・・君」

 晦は話をそのまま幸助の隣りに立っていたヴァルキリーにふった。

「何?」

 ヴァルキリーはムスッとして、でもアイスクリームは食べながら、それに反応した。

「招喚獣、でよろしいか?」

「ええ」

 幸助は、晦のその物言いに目をむいた。何で、知ってるんだ、『招喚獣』のことを・・・・・・。

「まあ、きざしは見えていたからな。こうなることも推測できた。無事、召喚されたようだな。で? どうだ、下界に降りた感想は?」

 そう晦が言うと、ヴァルキリーは顎に開いた右手を当て、考える仕草をした。

「悪くないわ。回りの奴等がみんな平和ボケした面してるけど、それはそれで良いんじゃない?」

「そうか。ところで契約はすましたのか? こんな腰抜けだと大変だろう」

「まったくね。おかげでギリギリだったわ」

「で、一つ聞きたいんだが、いつぐらいから『こいつ』の『所』にいた」

「んー、一週間ぐらい前からかな? 『こいつ』、その間全然気付いてくれなかったけど・・・・・・もう良いわ。こうして契約できたんだし」

「それは何よりだ。っと、私は海ノ瀬晦だ。晦でいい」

「私は、戦天使、ヴァルキリーよ」

 すると、晦の目が細まった。そしてそのまま幸助を見下ろす。

「ほう。なるほど、すごいな」

 晦は感心したように顎に手を当て、呟いた。

「・・・・・・何がです?」

 幸助は怪訝そうな表情を崩さず、聞き返した。

「馬鹿者。ヴァルキリーといえば、高位招喚獣じゃないか。相当な技術を持った高位魔道師でも、召喚が困難だとされているA級召喚なんだぞ?」

「知らねぇよ、そんなこと。ゲームじゃないんだし」

「へぇ、あなた、詳しいのね」

「まあな。そっち系は好きで、書物をあさっているからな」

 そう言って、晦は不敵な笑みを幸助に向けた。

「まあ、この馬鹿な教え子は、そう言った類のものは信じようとしていないが」

「へ、悪かったな。どうせ俺は―――」

―――ドクン。

「え?」

『我慢スルナ、言イタイコトヲ言ッテヤレ』

「なに、を」

『言ワレルママデ、ソレデオマエハ良イノカ?』

「おい、どうした東、しっかり―――」

 いきなり黙った幸助の肩を揺すって晦は叫ぶ。ヴァルキリーも、何処か心配そうに何かを言っているのが分かった。

 だが、もう聞こえない。ヴァルキリーが叫んでいるのが分かる。晦が何か言っているのが分かる。だが、何を言っているのか、分からなかった。

どんどんと視界が狭くなっていく。ぐるぐると景色が回り、視覚で捕らえる色もはっきりとしなくなった。だがそれとは裏腹に、心臓がうるさいほどドクドクと大きな音を立てて耳に聞こえてくる。

 せんせい、オレ、どうなってんの?

 幸助はそう言おうと口を開いたが、声が出ず、口が言葉通りの形をとっただけだ。

 なんだか、きもちいい。でも、もう、どうでもいいや。

 意識が遠のいていく中、幸助は不思議な暖かい包容に包まれ、そして意識は完全に暗転した。

「おい、どうした、東! しっかりしろ!」

「幸助? どうしたの? ねえ」

「東! 返事をしろ!」

「幸助、どうしたの! 幸助!」

「・・・・・・」

 突然喋らなくなった幸助は、晦やヴァルキリーのかけ声にも応じず、そのまま気を失っていた。崩れ落ちる幸助の体を、晦がすんでの所で抱きかかえる。

だがその幸助の表情は、苦しんでいるものではなく、何処か、幸せそうな顔をしていた。そこが、妙に引っかかった。

「眠っちまった」

 晦は重苦しく呟いた。抱きかかえていた幸助を地面に寝かし、脈、呼吸、体温、などを手早く確認する。

「体に問題はない。だが、・・・・・・やはり体力が衰退している。ここに寝かせても日射病になるだけだ」

「ねえ・・・・・・どうすればいいの?」

 心配そうにおろおろするヴァルキリーを見て、晦は自身が最前と思われる処置を言った。

「とりあえず、こいつの家に運ぶぞ。遙さんがいるはずだ」

「う、うん」

 晦は軽々と幸助を背負い、ヴァルキリーをつれて走り出した。それも尋常ではない速さだ。晦の背が、他の者達よりも高いが、そういう問題ではない。そこらの短距離走者の全力疾走よりも、明らかに速かった。それも、幸助を背負っているのだから、なおさらだ。

 その後に、顔色を変えず走って付いてきているヴァルキリーも尋常では考えられないだろう。

「救急車を呼んでも意味がないからな! それに、そうであってもこっちの方が速い!」

 走りながら、晦は後ろを走るヴァルキリーにそう言った。

「幸助は、大丈夫なの!?」

「ああ、問題ない! 寝ていれば回復する! 昨日もそうだったからな」

 角を曲がり、そのまま商店街のアーケードを直線に走り抜ける。周りの者が目を疑うような視線が集中するが、それでもおかまいない。

「ちぃ、信号か!」

 晦波いきなり立ち止まった。大通りの信号に引っかかったのだ。ここを通り抜けなければ、彼の家に辿り着くことは出来ないだろう。出来ても、遠回りになる。しかも、ここの信号は待ち時間が長いことで有名だった。

「ねぇ、向こう側にいけないの?」

「ああ、あれは信号と言ってな、赤だったら渡ってはいけないんだ」

「なら!」

 ヴァルキリーは、その場でターンを踏んだ。とたん、彼女の回りを風が包み込む。そして次の瞬間、幸助を背負った晦の体が一気に浮かび上がっていた。

「さすが」

 晦を空中に持ち上げたヴァルキリーを見上げ、感嘆の声をもらした。背には天使の象徴とも言える、一対の巨大な翼。

「どっち?」

「ああ、あっちだ」

 晦は幸助の家を指さした。さら高く舞い上がっているため、ほとんどの家が見渡せたのだ。

「分かった。しっかりつかまってて」

 ヴァルキリーは、空中で静止した状態から、爆発的なエネルギーを噴き出し、晦の指さした方向へとはじき出されていた。

「待ってたよ」

 幸助の家に着くなり、迎えてくれたのは遙の笑顔だった。

「いずれ、こうなるとは知っていたからね。準備は出来てる。こいつの部屋に運んでいって」

 遙が界を促した。晦波遙の横をする抜け、幸助の部屋に向かう。遙は、その場に取り残された、翼を生やしたままのヴァルきりにーに近づいて、その頬に触れた。

「あんただね」

「あなたは?」

「遙。あの馬鹿息子の母親だよ。ありがとう、あいつを救ってくれて」

 そう言って、遙は薄く微笑んだ。

「知ってたよ。あんたのことも、どうして幸助に力がないのかも」

「どうして・・・・・・?」

「いずれ分かるよ。それより、待ってたよ、あんたを」

 ヴァルキリーは、自分の頬に触れる遙の手を、その上から自分の手で優しく覆った。そして、目を伏せる。遙の手は、暖かかった。

「私は・・・・・・」

「分かってる。だから来たんだろう? なら、護ってやりな。遠慮はいらないよ。あんたはもう、私の家族なんだから」

 ヴァルキリーの頬を、一筋の涙が流れ落ちた。そして、ヴァルキリーは口元に笑みを作って、

「はい」

目を伏せ、大きく頷いた。

「寝かしてれば大丈夫だよ」

 幸助を横たえた別途の隣で、椅子に足を組んで座っている晦に、遙はそう言った。

「そうだな。では、私はこれで失礼する」

「あんたも大変だね」

「いや、私が好きでやっていることだ。それに・・・・・・」

 晦波立ち上がり、出入り口の前に立つ遙の近づいて、耳元でささやいた。

「・・・・・・遙さん、あなたは全てを知っているようだ」

「そうだね」

「息子を巻き込んで、悔いはないのか?」

「ええ。それはもう、覚悟の上だから。あいつに何を言われても、それは仕方のないことだしね」

「だが、無理をするなよ」

「分かってる。あんたこそ、『こっち』に首を突っ込むと、取り返しが付かないことになるよ?」

「かまわない」

 晦は、遙の横を抜け、そのまま玄関に向かった。

「ありがとう」

 その背中に、遙がそう言った。その言葉に、晦は肩越しに遙の方を見る。

「あれでも、私の一人息子だ。ありがとう、救ってくれて」

「・・・・・・」

 晦は無表情でその顔を見ていたが、

「かまわない。では」

そう言い残して、晦は歩き去っていった。

「・・・・・・始まった。もう、・・・・・・後戻りは、出来ない」

 遙は、薄暗い天井を見ながら、哀しげに呟いた。

   †

 夢を見た。

 限りなく広がる荒野の山脈の中腹に、唖然と立ちつくす夢を。

 空は血のように赤く、墨をぶちまけたような黒い雲は渦を巻き、風は肌を刺すように冷たかった。

 辺りには、草一つ生えていない。

 まるで、死の国だと、そう思った。

 それだけだ。ボーっとする意識の中、唯一それだけ考えることが出来た。

 

 音色が聞こえた。

 それは何処かで一度聞いたことのあるような音色だった。

 これは、ハーモニカ。

 俺はそう思って、辺りを見渡した。

 音が何処から出ているのか知りたかった。

 だけど、それはすぐに見つけることが出来た。

 

 上。

 

 見渡す限りで一番高い所に、それはあった。

 少女だ。

 白いワンピースのドレスを着た、背の高い少女が、崖の縁に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら、ハーモニカを吹いていた。

 その姿は、つい見とれてしまうほど、絵になっていた。

 何故だろう。

 この少女、他人のような気がしない。

 それどころか、いつも身近にいるような感覚だった。

 少女は、こっちに気付いたようで、ハーモニカから口を離し、俺の方を見た。

 その少女は、薄く微笑んでいた。

 そして、ふわとその崖から降り立つと、俺の方に歩いてきた。

 近づくにつれ、その顔が鮮明になっていく。

 少女は、俺の前まで来ると立ち止まった。

 目線が合う。

 灰色の瞳。長い耳。そして、少女は美しかった。

 俺の目の前で見上げてくる少女は、美しくあり、そして儚くも思えた。

 

 俺が何も言えないでいると。

 その少女は。

 俺の唇に。

 

 接吻していた。

 

 頭の中が真っ白になっていく。

 少女は俺から離れると、また微笑んだ。

 俺は、その少女の肩に触れようと、手を伸ばす。

 だが、少女はそれを避けるようにきびすを返し。歩いていく。

 

 まただ。

 また見捨てられてしまった。

 

 ハーモニカの音が、脳裏に響いてきた。

 

 ふと気付いてみると、その少女は、崖を背にして、俺の前に立っていた。

 少女は、足を外し、そのまま背中越しに、がけの下へ。

 俺は駆け寄っていた。

 下を見ると、少女が、胸に手を当て、微笑みながら、崖の下へと消えていくところだった。

 どうして、そこまでする。

 俺は、やりきれなくなり、悔しくなり、両の拳を、地面に叩きつけた。

 涙が、止まらなかった。

 

  地の底からいずこ出ん

 

 俺の心の中で、声が響いた。

 低い、凛とした女性の声だった。

 

  闇から闇へと移りゆく

  我は混沌の化身なり

  汝の心が我を呼び

  闇のそこより引きずり出る

  醜い姿を汝にさらし

  我の全てを捧げよう

  我が肉体は汝の盾となり

  我が牙は汝を護るために

  汝が我を望むなら

  汝、我の名を呼べ

 

 崖の下が光った。

 そして、俺は無意識の中に浮かんだ名を、心の底からはき出すように、渾身の力を込めて、少女の落ちていった崖に向かって―――

―――叫んでいた。

「ラアァーミアアアァァァァァーーーーーッッ!!!!」

 

 一筋の閃光。

 そこから、巨大な蛇が上空に飛び出した。

 十階建ての建物よりもはるかに高いの蛇は、そのまま天へと伸び、渦を巻く黒い雲の中に飛び込んでいく。

 そして、俺の目の前に、黒い雷が落ちた。

 俺は思わず目をしかめ、そして、目を開ける。

 そこには、彼女がいた。

 彼女は俺を見るなり、満面の笑顔を俺に向けて。

 そして大きく身を乗り出して。

 俺が気付く前に。

 俺の唇に。

 接吻していた。

   †

 ヴァルキリーは、幸助の枕元で、布団に顔を埋めていた。ヴァルキリーは、思わず微笑んでしまった。

 気持ちいい。

 強大な魔力が、幸助の体から止めどなくあふれ出ているのが分かる。

 それを感じるだけで、気持ちよかった。

 だが、ビクンと幸助の体一度大きく躍動したことによって状況は一変した。

「え?」

 ゾクり。

 ヴァルキリーは、思わず両の肩を抱きかかえ、身をすくませた。

 強烈な寒気と吐き気顔し寄せてきたのだ。

「まさか、まさか・・・・・・!」

 ヴァルキリーは立ち上がり、外につながる窓に駆け寄る。

 空間が歪んだ。先程の寒気は、そのために起こったものだ。それも、その寒気に、ヴァルキリーは見覚えがあった。

 窓を乱暴に開け放ち、そして身を乗り出すようにして、辺りを見渡す。すると、小さな庭に、夜の闇よりもさらに深い闇がぽっかりと穴を開けていた。

「―――これは・・・・・・―――」

 ―――『時空の裂け目』。

ドン。

「っ・・・!」

 突然、その穴の中から何かが飛び出したのがわかった。

 ビリビリと大地を振るわして、それは星空に身を躍らす。

「・・・・・・呼んだのね、彼女を」

 ヴァルキリーはそれを見るなり、悲痛な面持ちで呟いた。

「主、何処だ」

 無表情で、冷たい声で、彼女はヴァルキリーにそう聞いた。

「・・・そこで、寝てるわ」

「・・・・・・」

 彼女は何も言わぬまま、ヴァルキリーの腹いていた扉から室内に入ってきた。ずるずると嫌な音を立てて。

 彼女は下半身が巨大な大蛇なのである。

「・・・・・・」

 そして、幸助を上から覗き込むと、彼女はそっと、彼の唇にキスを交わした。

 これが彼女、ラミアの契約『無の接吻』である。

 ラミアはそのまま上体を起して辺りを見渡した。

「ここは・・・・・・」

「彼の家よ」

「・・・・・・ヴァルキリー、お前も」

 ラミアは少し黙っていたが、次に口を開いた時には淡々とそう言っていた。しかし声に感情というものはなく、何処か機械的にも思えた。

「残念だったわね、ラミア。彼が起きていなくて」

「契約、支障ない」

「あっそ」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 それきり、二人は黙り込んでしまった。

 空間が降着したように、嫌な間が続く。

「うーん」

 その緊張感をぶち壊しにしたのが、他ならぬ主、幸助だった。

「何も感じないの? これだけの魔力の持ち主。魔力を完全に消している私と、お前で、二人もいるのに、・・・大した奴」

 ラミアは唸るような、でも淡々とした声をもらした。それは感心したうめきであった。普通、こんな高位招喚獣が二匹もいれば、それだけで、威圧の大きさに精神をかき乱されてもおかしくなるというのに。

「まとう魔力は、洗練されて、力強く、そして暖かい。だから、引かれたか。私は。そして、・・・・・・お前も」

「ふん。あんたとは一生掛けてもなれ合うつもりはないわよ」

 ヴァルキリーがラミアからぷいと視線を外した。

「天使と悪魔の魔力、どうあっても相容れない」

「普段無口な癖して、今日はえらくお喋りね?」

「今だけ。私としても、話すのは好き、じゃない」

 相変わらず感情のこもっていない物言いに、ヴァルキリーは深くため息をついた。

「はあ・・・―――」

「「!」」

 そこで気付いた。ラミアも気付いたようだ。

 また、時空の裂け目が開いたのだ。しかも一つではない。複数、それぞれ違う裂け目が、いくつも幸助の回りに出現していた。

「まさか、複数召喚?」

「すごい力で、引き寄せられてる」

 光と闇が、それぞれの裂け目からあふれ出し、いつのまにか幸助の部屋を包んでいた。

「くる」

 とラミアが呟いた瞬間、

 バン!

 幸助の回りの空間がはじけていた。それと共に、いくつもの人影がなだれ込んできた。

「うわわわわああぁぁっ・・・・・・」

「ふにゅうぅ〜・・・・・・」

「ニャ?」

「おっ・・・・・・と」

 ガッシャーン!

 ヴァルキリーとラミアは両耳をふさいだ。

 ・・・・・・。

「あ、ラミア、良かった。私の主は何処?」

 まず顔を出してきたのはグラマーなお姉さんであった。インド宮殿の踊り子の様な、露出度の高い服装。耳はとがっていて、髪の毛が蛇だった。背中からは金色の翼が一対生えている。

 メデューサであった。

 たいそう慌てているようだ。。

 回りでは、光と闇の乱流の中、未だに招喚獣たちの喧噪が続いている。

「そこ、ベッドで寝てる」

「ありがと」

 メデューサはラミアの指さした方へ駆け寄って、そして優しく首元にかぶりついた。

 メデューサの契約『紫紺の吸引』。

「ヴァルキリーさ〜ん。いらしたんですか〜?♪」

 次に現われたのはへろへろと目を回して近づいてくる、天然っぽいお姉ちゃんだった。幸せそうに、だが足元はつたなく、ヴァルキーの胸元に倒れ込む。

「出てきたらこんなになっちゃってました〜♪ ど〜すればいいか分かんなくなっちゃって〜あれれ??? ヴァルキーさんが沢山いる〜♪ あれ〜?? ふにゅうぅぅ〜」

 かく。

 いきなり現われた天の歌姫、ハーピィーは目を回したまま、ヴァルキリーの胸の中でダウンした。

「へ? あれれ?? えぇっ! ちょ、ちょっとそこどいて〜! あわわわ、ぶつかるうぅ〜!」

 ガン。

「はにゃっ!」

 次に光の中から飛び出してきたのは、背中に羽を生やした小さな人だった。そのままヴァルキリーの横を通過し、壁に衝突する。

 ふらふらとヴァルキリーの目の前に漂ってきた、小さな小さな手の平サイズの女の子、ピクシーは、真っ赤に腫らした鼻を押さえていた。見た目は十二歳前後の少女である。

「いたたたたた。こ、こんばんは〜いたたた」

 痛さに顔をしかめつつも、それでもヴァルキリーに挨拶は忘れない。

「っつう〜、ところで、主様何処ですかぁ?」

「そこよ」

 ヴァルキリーはあきれ顔でいまだに横たわっている主、幸助を指した。

「ありがとー、ヴァルキリーちゃ〜ん」

 ふらふらと中を漂って幸助の元までとんで行く。

「あ〜、メデューサちゃーん、こんばんはー」

「あら? こんばんは、おちびちゃん」

途中ですれ違ったメデューサに挨拶を交わし、そのまま幸助の上下する胸に、

「あれ? 何だか眠くなって・・・・・・」

 ぽてっ。

 落ちた。

「うにゃ?」

 唯一人ではない声が、ヴァルキリーとラミアの足元から聞こえてくる。

 二人が視線を落とすと、足元に、まだ幼い女の子がちょこんと座って、首をかしげていた。ただし、猫の耳が頭から生え、ケツの辺りから一本の尻尾が顔をだし、手は猫の手だ。

「にゃあぁーーーー」

ケットシーは、緊張感のない屈託の無い声で一言そう鳴き、頭を足でかき始めた。これはもう、完全に猫である。

 光と闇とどたばたが去った幸助の部屋で、ヴァルキリーとラミアはそろって呆れるように深いため息を漏らした。

 今は三人暮らしの核家族が、大家族へと変貌した瞬間だった。

「うーん(苦)」

 だが本人はそのことにまだ気付いていない。このことが分かるのは、本人が目覚めてからになりそうだ。

《第二章・完》



 《著者コメント》

 ども。『伐ボラ』こと伐採ボランティアです。

ここに第二章をお届けします。紅アゲ氏に設定をもらって自分が書いているわけですが、どうでしょう。面白いですか? わたくしが書くと、どうしてもシリアスになりがちで、少し不安です。

 実は不幸なことに、インターネットがつながらないわたくしは、みなさんのご意見を聞くことが出来ません。ですが、友人、紅アゲ氏を通じて色々コメントくれたらと思います。是非、素直な感想をお聞かせください。

さて、夏休み課題である読書感想画に電撃文庫の「天○に涙は入らないシリーズ」の絵を描いたのは一体誰なんでしょうねえ? ・・・・・・すいません、それはわたくしのことです。このことを紅アゲ氏に話すと、速攻で激しく突っ込まれました。その気も分からなくもないですが・・・(笑)。でも読んでみると、読みやすくておもしろので、わたくし的には気に入っています。アブデル氏のあの言葉の使い回しが特に・・・・・・。

ノンピュアガールズ第三章ですが、主人公幸助のライバル、騎士道二が登場する予定です。一体どんな方なのか。それは次回を、紅アゲ氏のおもしろ小説を読みながら、気長に待っていてください。

 それではまたの機会にお会いしましょう。

 ―――我、無我の境地へ行かんことを・・・・・・―――          伐ボラ


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