空からは雪がしんしんとふりそそいでいた。

 吐いた息は白く、だがすぐに空気にとけてゆく。

 ふと、空を見上げた。

 薄く曇った空から、ふりそそぐ雪。

 そんな季節になると、思い出すことがある。

『かみさまって、いると思う?』

 小さい頃から近くにいた、あの少女の事を。

 

 

 

雪のふる頃に

 

 

 

 小さい頃は仲良く遊んでいても、時が経つにつれ次第に疎遠になることはそんなに珍しいことではないと思う。

 ましてや相手が異性だったらなおさら。

 僕と彼女も、そんな例にもれることはなかった。

 仲良く遊んでいた記憶がはっきりとあるのは小学生だった頃くらいまでだったと思う。

 中学校、高校共に同じ学校に通っていたが、中学生になり、お互いに『男』と『女』なんだと自覚してからは話す機会はほとんど減り、高校生になったときにはさらに接点がなくなっていた。いや、むしろ僕のほうは忘れかけてさえいたかもしれない。

 

 それは高校二年の、もう冬とも言える頃だったと思う。

 僕はいつものように購買でパンを買ってから屋上へと続く階段の踊り場で、昼食をとっていた。

 昼食を食べ終えた後、特にすることもなかったので昼休みぎりぎりまでそこでのんびりとしていたら、屋上の方から扉の開け放たれる音がした。

 この時期、屋上は寒くて上がる人なんてまずいないと思っていたのだけれど。

「シュウ?」

 聞き覚えのある声がして、僕は半ば反射的に視線を向けた。

「あ、やっぱりシュウなんだ」

 僕の名前は修と書いて『おさむ』と読むのだが、何故か彼女は僕のことをシュウと呼んでいた。

「静香?」

「うん」

 静香とは、彼女の名前だ。

「ずっと、屋上にいたのか?」

「うん」

 それはそうだ。

 僕は購買でパンを買ってここに来てから、ずっとここにいたのだから。

「ずっと屋上にいて、寒くなかったのか?」

「寒かったよ」

「ならなんでいるんだよ、屋上なんかに」

 彼女は、ん〜と考え込んで、

「なんでだろ?」

 苦笑していた。

 そのときの彼女は、あの頃と変わっていないように見えた。

 きっと、ずっと、変わらないと思い込んでいた。

 だから、まったく考えていなかった、というのもあったのかもしれない。

 

 翌日も、そのまた翌日も、彼女は屋上にいた。

 何をしているのかと思えば、ただ黙って空を見上げているだけで。

 昼食も食べずにこんな寒くて寂しい場所で何をやっているのか。

 何故か、僕は彼女を放ってはおけなかった。

 その日から、僕は昼食をとる場所を寒い屋上に変えた。

 寒い空気に身を震わせながら、空を見上げる彼女を見る日々。

 空を見上げているときは何も言ってはくれなかったけれど、居心地はそんなに悪くはなかった。

 むしろ、懐かしいと思っていたのかもしれない。

 こんなに一緒の時間を共有するのは、本当に久しぶりの事だったから。

 そんなことが続いたある日、彼女は空を見上げる時間を少しだけ短くして、僕の隣に座った。

「シュウ、このごろよく屋上にきてるよね」

「まあ、そうだな」

 そう言って、彼女にパンを差し出した。

「これ、私に?」

「何か食べないと、午後がもたないだろ?」

「そうかもね」

 そう言って彼女は微笑んだ。

「ねえ、シュウ」

 不意に、彼女が口を開いた。

 その瞬間の彼女に、淡く儚い印象を覚えた気がした。

 思えば、そのときに気づくべきだったのかもしれない。

「かみさまって、いると思う?」

 

 その日は朝から雪がふっていた。

 前日からふりそそいでいた雪は、街を白く覆い尽くしていた。

 といっても、今日は休日なので、あわてることもない。

 僕はゆっくり居間へと向かった。

 そこでしばらくのんびりしてから食事をとろうと台所へ向かったが、あいにく、冷蔵庫の中はほとんど空だった。

 料理を作ることが出来る腕があっても、食材がなければどうにもならない。

 父さんはすでに仕事に出ているだろうし、母さんは昨日から母さんの友人と旅行に出かけていて、帰ってくるのは今日の遅くだと聞いていた。

 僕は軽く舌打ちした。今この家には僕の他に誰もいない。

 身体は空腹を訴えていた。

 仕方なく、着替えて財布をポケットに無造作に突っ込んでからコートを羽織って、何か食べるものを買いに外へ出た。

「うわ、寒」

 室内との気温の変化に、僕は思わず身をすくませた。

 はあ、と吐いた息は白く曇った。

 人気はまったくない。

「早く用事済ませよ」

 独り呟いて雪道を歩く。さくさくと、どこか心地よい音がした。

 途中、通りかかった広場。

 人の気配がなかったそこ。

 そこで、僕は見てしまった。

 雪の上に、彼女は寝転んでいた。

 そのまま、空を見上げていた。

「おい、静香!」

 僕は慌てて駆け寄った。

 何時からそうしていたのか。彼女の肌は白く、唇は青紫に変色していた。

 彼女はゆっくりとその目を僕に向ける。

「あ……シュウだ……」

 そしてそれだけを呟くと、再び空を見上げる。

「こうやって空を見上げてふってくる雪を見ていると、自分が空に昇っているような気がしてくるんだよ」

「なに言ってるんだよ、静香!?」

「そうして空に昇っていったら、いつか空の国に辿り着けるのかな……?」

 空を見上げていた彼女は、あまりにも儚くて。

「ねえ、シュウ。かみさまって、いると思う?」

「知らない! 知るわけないだろそんなこと!」

 抱き上げた彼女の身体は、氷のように冷たくて。

 いったい何時から、彼女は空を見上げていたのだろう。

 それはあまりにも衝撃的過ぎて、僕は自分が外に出てきた理由を忘れてしまったほどだった。

 

 僕は彼女を連れて僕の家へとやって来た。

 彼女の家よりは僕のほうの家が近かったのが、理由だと思う。

 とりあえず、真っ先に彼女の冷えた身体を温めなければと思っていた。

 彼女を暖房のきいた居間に連れて行き、タオルを渡してぬれた身体を拭かせた。

 その間に僕は、風呂の用意をした。

 湯船に湯が張られる間に、僕は温かいコーヒーをいれて、彼女に渡した。

「ありがとう」

 そう紡ぐ彼女の唇は、まだかすかに震えていた。

「今、お風呂沸かしてるところだから。冷えた身体を温めるといい」

「うん。ありがとう」

 どこか申し訳なさそうに、彼女は言った。

 

 風呂上りの彼女は、ある種の色気をまとっていたように思う。

 髪からはぽたぽたと雫が滴っていた。

 ちなみに、今彼女が身につけていたのは母さんの服だ。

 サイズはちょっと合っていないが、それは仕方がない。

「ねえ、シュウの部屋、見せてもらっていい?」

 不意に、彼女はそんな事を言ってきた。

「別に、かまわないけど」

 かまいそうなモノは巧妙に隠蔽してあるし。

「だけど、なんでだ?」

 彼女はそれを聞いて淡く笑った。

「なんとなく」

 

 僕は自分の部屋に彼女を招きいれた。

 以前に彼女を部屋に招きいれたのは確かお互いに小学生の頃だったから、何年ぶりになるだろう。

「意外と、きれいなんだね」

「悪いか?」

 彼女は首を横に振った。

「悪くはないよ。でも、男の人の部屋って、あんまりきれいじゃないって思っていたから」

「それは偏見だろう」

 他の人はどうだか知らないが、僕はちゃんと部屋の掃除や整頓もきちんとやっている。

「それにしても」

 僕は呟いた。

「面白いものなんか、ないと思うけどな」

「そんなこと、ないと思うよ」

 僕はベッドに腰掛けた。

 彼女は興味深そうに僕の部屋を見回していた。

 そのうち、見回すだけでは飽き足らなくなったのか、徘徊や物色まで始めた。

 そこまでされると、さすがに苦笑を禁じえなかったが。

「やっぱり、昔とは違っちゃってるんだね」

 彼女のその言葉に、僕は笑った。

「そりゃあそうだろ。静香が前に僕の部屋に来たのって、一体何年前の話になると思ってるんだよ?」

「そう言われてみれば、そうかもね」

 そう言って彼女は、本棚にある本を無造作にぱらぱらと見ていた。

「そういえば、さ」

 彼女はさっきまで見ていた本を本棚にしまって僕を見た。

 不意に、彼女の雰囲気が、変わった気がした。

「私、シュウに訊いたよね。『かみさまって、いると思う?』って」

 彼女はゆっくりと僕の元に歩み寄ってきた。

「私はどう思っているか、教えてあげようか」

 まるで金縛りにでもあったかのように僕の身体は動こうとしなかった。

 そんな僕の手首を、彼女はゆっくりとつかみあげる。

「かみさまは、いるよ」

 一瞬、何がおこったのかわからなかった。

 押し倒されて、ベッドの上で組み敷かれていたということが分かったのは、それからわずかに後。

 ぎしり、とスプリングが鳴る。

 女の子の甘い匂いに頭が痺れる。

「だから私は、かみさまなんて信じない」

 そのまま、流されるように、僕は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は緩慢にも見える動作でゆっくりと着ていたものを再び身につけてゆく。

 同じように着ていたものを身につけながら、僕はまだどこか現実感の乏しい頭でぼんやりと彼女を眺めていたと思う。

 やがて服を着終わると、彼女はたったひとことを、ぽつりと言った。

「ごめん」

 その時。

 彼女の目から、涙がこぼれているのが見て取れた。

 それを見て、僕は何か声をかけようとしたのだけれど、その前に彼女は逃げるようにその場から走り去ってしまった。

 今から思えば、すぐに後を追うべきだったのかもしれない。

 だけど、そのときの僕はそんな判断さえ出来なかった。

 

 次に登校したとき、僕は彼女に対する気まずさを抱えたまま、彼女に会ったら何と言うべきかを考えていた。

 すぐに、それが無駄になったということを知ることになった。

 何故なら、すでに彼女はこの街から去ってしまっていたから。

 その後で僕は、彼女の両親が事故で亡くなった事、そのために親戚の元へと引き取られて行ってしまった事を知った。

 本当はもっと早く親戚のところへ行く予定だったらしいが、彼女はそれを、ぎりぎりまで引き伸ばしてもらっていたということも同時に知った。

 知らなかった。

 その瞬間まで僕は、何も知らなかった。

 ただ、それだけが、どうしようもなく、悔しかった。

 

 

 空からはしんしんと雪がふりそそいでいる。

 吐いた息は白く、だがすぐに空気にとけてゆく。

 ふと、空を見上げた。

 薄く曇った空から、ふりそそぐ雪。

 あれから何度、雪のふる季節はめぐってきたのだろう。

 そのたびに、僕は彼女の事を思い出す。

 あのとき彼女は「ごめん」と言った。

 だけど、その言葉は何に対しての謝罪か、いや、そもそも謝罪であったのか、僕は今も分からないままでいる。

『かみさまは、いるよ』

『だから私は、かみさまなんて信じない』

 ただ、彼女の言葉だけが、今も耳に残っている。

 

 


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