じりじりと灼けつくような、とまではいかないものの、まだ熱の残る道を、僕は歩いていた。
 どうしてこんなことになったのか思い返してみる。
 
 そう。親の仕事の都合上転勤が多くて何度か住む場所を変えていたんだっけ。
 それに合わせて何度か転校していたのだけれど、この街に家を建てたあたり、転勤は終わりなのかもしれない。
 それで、駅から出たとき、そこには見たことのない景色が広がっていて。
 がらにもなく、探険の二文字が頭に浮かんで。
 親から家までの地図を受け取ってそのまま飛び出したのはいいのだけれど。
 
 迷った。
 完膚なきまでに迷った。
 地図はある。それはまだ救い。
 でも、それは駅から家までの案内図に過ぎなくて。
 どう行けばあの駅に戻れるかもわからない。それが現状だったわけで。
 
 あの娘と出逢ったのは、ちょうどそのときだった。
 
 
 
麦藁帽子チョコレート

 
 
 
「…………?」
 首をかしげる。
 さっきから女の子が、ぼんやりと立ち尽くしている僕を見ていた。
 頭には麦藁帽子を少し深めに。
 それは夏の名残なのか、白いワンピースと小麦色に焼けた肌。
 多分だけど。年は僕とほとんど同じくらいだと思う。
「あなた、だれ?」
 おそらくは、それが彼女の第一声。
「そういうキミはだれなのさ?」
 少しイラついた声。この暑さが悪いんだと思う。大体、もう九月中旬だろう。
「わたし?」
 少女は少しだけ首を傾げ、にぱっと笑って、
「美亜。小菅美亜っていうの」
 美亜と名乗った少女は「あなた見たことないね。旅人さん?」なんて言ってきた。
 ……あの、さあ。
 この年で一人さすらいの旅人なんて出来るのだろうか。僕には無理だ。なにせ手に触れずに人形を動かせない。
「旅人じゃない。今日この街に引っ越してきたんだ」
「ふぅん。そうなんだ」
 美亜は再びにぱっと笑う。
「それじゃあ、わたしがこの街を案内してあげましょう」
 その提案は、悪くないものに思えた。
 おそらく彼女はこの街の住人であり、それ相応には勝手を知っているだろうから。
 少なくとも、今日はじめてこの地に足をつけた僕よりは。
 
 
 
 
 
 
 と。そう思ったのだけれど。
 
「ここがフローラル。ここのケーキは絶品だよ。わたしはモンブランが好きー」
 
「ここが朝見屋。喫茶店だよ。おとうさんに連れられてよく来るけど、結構いいお店だよ。
 でも、メニューの最下層にあるハートフルスペシャルっていうメニューは誰も頼もうとしないんだよ。不思議だね」
 
「あ、ここは面白いんだよ。一度入ってみるといいよ」
 
 なんか、致命的な間違いを犯した気がするのは何故だろう。
 いや、確かに彼女は街を案内すると言ったのであって僕の望む目的地まで案内してくれると言ったわけじゃないのは心得ておりますが。
 でも、少しくらい話を聞いてくれてもいいと思うのですよ?
 だからといって、美亜の手を振り払うなんて彼女の厚意を無碍にすることをするわけにもいかず、
 こうして何も言えないままこうして美亜に手を引かれていろんなところへと連れまわされましたとさ。
 
 
 
 
 
 
「楽しいね」と美亜は言う。
「そうだね」とつい本音が漏れる。
 彼女は僕の何歩か前の位置でくるりと回る。
 その様子がまるで妖精のように見えたのは、僕だけの秘密。
 
 不意に、強い風が吹く。
 その風は、美亜の麦藁帽子を高い空へと持ち上げた。
 一瞬の風は、それでも彼女の麦藁帽子を遠くへと持っていった。
 美亜は慌てて麦藁帽子を追う。
 僕は慌てて美亜を追う。
 冗談じゃない。こんなところに一人置き去りにされたらどうしろというのだ。
 
 青い空。白い雲。流れるような空はまだ熱を含んで。
 そんな中を、僕たちは走っている。
 麦藁帽子を追う少女とその少女を追う僕。
 傍目にはどう映っているのだろう。
 でも、このときの僕は、そんなことすら考えてはいなかったのだと思う。
 ただ、この瞬間、楽しくて、キラキラ。
 地面に落ちる麦藁帽子。
 駆け寄ってぎゅっと、大事なもののように抱きしめる少女。
 息を切らしながらも、美亜に近寄る僕。
 美亜は麦藁帽子を深く被る。
「耳、ちょっときつくない?」
「大丈夫。かぶる前にちゃんと寝かせてあるから」
 僕たちは、顔を向かい合わせて、どちらからともなく笑った。
 
 
 
 空が赤く染まり始めた頃。
 そろそろ最低でも駅まで戻る道を訊いた方がいいんじゃないかなと思ったり、
 なりゆきで美亜と手なんかつないでいることに気恥ずかしさを感じたりしていると、
 前の方から美亜に似た少女と、大人の男の人。
 その少女は本当に美亜にそっくりで、違いは黒いワンピースをつけていることと、麦藁帽子に括りつけられているリボンの色。
 美亜のは赤色で、少女のは青色。
 少女と美亜はお互い見て、口を開いた。
「美羽」
「お姉」
 その短い会話で、納得がいった。
 姉妹なら、そりゃあそっくりで当然だろう。
「美恵は?」
「ああ、美恵ならこっちだ」
 男の人が言う。
 目つきはあまり良くない。
 というか、なんで白衣なんだろう?
 そんな男の人の陰からひょこっとさらに小さい女の子が顔を出した。
 どうやら、男の人の陰に隠れていたためわからなかったらしい。
 美亜や、美亜が美羽と呼んでいた少女に比べるとはるかに小さく見えるが、面影はある。
 おそらく、彼女達の妹で間違いはないだろう。
 そんな美恵とかいう女の子だが、どうも人見知りらしい。
 なにせ、僕の姿をちょっと見ただけで男の人の陰に隠れてしまったのだから。
 僕は美亜にささやくように問い掛けた。
「そこにいるのって美亜のお父さんと妹?」
「妹はそうだけど、あのひとはおとうさんじゃないよ。えっと、『ほごしゃだいり』みたいなひとかな」
 僕はもう一度男の人を見る。
 ……怖い。なんだか目つきが先ほどよりもきつくなっているように見えるし。
「美亜、そいつ、誰だ?」
 心なしか、声にも威圧が含まれているような気がするし。
「えっと、旅人さん」
「いや、違うから」
 この汗は残暑のせいだけじゃない気がする。
「今日この街に引っ越してきたんだって。だから、わたしがこの街を案内してあげたの」
「ほう」
 そう言って男の人は僕の顔を見る。動けない。
「ま、美亜のひとを見る目はそんなに間違ってもないだろ。……というか、こういう役目は本来俺がやるもんじゃないだろってのに」
「しょーがないわよ。それだけ頼りにされてる、みたいな?」
「それにもほどがあるだろ。ってことで、そろそろ帰るぞ、美亜」
 男の人が美亜を手招きする。
「あれ、そういえば今日はどっちなの?」
「ああ、ウチのほうだ。あいつら、『僕らの七日間戦争を発令しますので娘たちをしばらく預かってください』ときたもんだ。
 ……親友やめた方がいいかな。マジで」
「なるほどね。ということは美恵に続いてまた増えるのかしら」
「?」
 何かを察しているらしい美羽とわからずに首をかしげている美亜。
 正直言って、僕も、何のことだか、よく、わからない。
 
 美亜は僕のもとを去りかけて振り返り、僕のそばに戻ってくると、
「これ、あげる」
 そう言って手渡されたのは、少しとけかけたチョコレート。
 それはとけかけてはいたのだけど、不思議と嫌悪は感じなかった。
 僕はそれをポケットへと入れる。
「それじゃあ、また遊ぼうね」
 そう言って美亜は屈託のない笑顔を浮かべて、いっぱいに手を振って、妹達と一緒に帰っていった。
 
 
 ――何か、忘れているような。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ようやく我が家へと辿り着いた時には、すでに日は沈みきっていたわけで。
 まあ当然なのかもしれないけれど、両親にみっちり怒られた。
 
 自分の部屋へと入る。
 何もないがらんどうの部屋。そりゃそうだ。まだ自分の荷物を荷解きしてない。
 とりあえずベッドだけはあったのでそこに腰掛けた。
 ポケットを探る。とけかけたチョコレート。美亜という少女の名残。
 チョコレートをひとかけら口の中に放る。
 そのままベッドに寝転がった。
 また、彼女に出会えるのだろうか。
 そんなことを思いながら、僕はそのまま目を閉じた。
 そうして、初めてそれを知った。
 チョコレートは、その甘味の中に、少しだけ、ほろ苦さがまじっていることに。
 
 



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