「ねえねえ要芽【かなめ】、こういうの、あたしに似合うと思わない?」
休み時間、翔子はファッション誌を広げて、翔子の隣にいる女生徒となにやら語り合っていた。
「それで、こういうのが要芽に似合うと思うんだけど」
「……まあ、とりあえず否定はしないでおくけど。でも、私はこういう、というか、ドレス自体あんまり好きじゃないな」
「もったいないなぁ。素材はいいのに」
「こら! 翔子、胸をもむな胸を!」
環の姿は見かけない。
そりゃあ、いつもいつも一緒にいるってわけじゃないだろうし、翔子の友人も環だけじゃないってことはわかってるけれど。
そう。ゆくゆくは道も別れ、みんな自分の道を行くことになる。
わかっていた。つもりだった。
でも、きっと、その意味を深く考えてはいなかったのかもしれない。
だって、結局、私はあの唐突ともいえる別れを、なかなか受け止めきることができなかったのだから。
†
窓から外を眺める。
雨がしとしとと降り続いていた。
この数日、ずっと振りっぱなしで、空もどこか暗い。
梅雨時なので、仕方がないといえば仕方がないのだろうけれど。
「うーん……」
誠司が唸っている。
「うぅ……」
小夜ちゃんも唸っている。
「バージニアスリム、バージニアスリム」
翔子は謎の呪文を唱えている
「ふふ……」
環は不敵な笑みを浮かべている。
「…………」
浅宮さんはポーカーフェイスで何を考えているのかまったく読めない。
雨粒が窓をたたいている。
どこか暗い空。
気分も沈みそうになる。
このままではいけないと首を軽く振り、気分を切り替える。
そうして、私は口を開き、場を切り開こうと言葉を発した。
「ねえ、ダイヤの3持ってる人、出してくれない?」
無論、誰も応じてはくれなかった。
†
現在、私たちは早坂家に集合していたりする。
みんなお泊まりセットを持参している。本日は早坂家にてお泊まり会なのである。
ちなみに、私の家は早坂家の向かいなので、必要なものはすぐに取りに戻れる。
どうしてこうなったか。もちろん発端はある。
そう。まずは私の両親が家を空けることになったのが始まりといえば始まりなのだろう。
両親が大体今月の終わりごろまでしばらく遠くへ出かけることになった。ということは、私は一人家に取り残されるわけで。
それで、一人にしておくのもなんだから、と両親が戻ってくるまでのしばらくの間、私は早坂家にご厄介になっていた。
その折に、一度くらい翔子や環も集めてみんなでお泊まり会でもしてみたいと小夜ちゃんに提案し、
そのまま小夜ちゃんが誠司の両親にもその旨を伝え、許可をもらった。
そこで、私は翔子と環を電話でそのことを話し、異口同音に賛成の意をもらった。
何故かは知らないが、浅宮さんと連絡を取っていたのは小夜ちゃんである。
そして運命の日(というのは大げさなのだが)である本日、急な用事で誠司と小夜ちゃんの両親も一日だけ家を空けることになってしまった。
その結果、このような状況になっているというわけだ。
まあ、みんなが変に騒ぎを起こさない限り、どうということはない。とは思うけれど。
ちなみに、今回は例のメイド様は欠席である。
浅宮さんは「まあ、たまにはいいだろう」なんて笑っていたけれど。
「革命!」
「甘い。革命返しアンド8切り!」
「そんな、そんなことって……!」
しかし、思えば通常時よりも女性比率が上昇している。
これはもう、男子にとってはドキドキのイベントなのではないだろうか。
現在、数量的には女性陣のほうが圧倒してしまっているわけだし。
「ストレート!」
「フルハウス!」
「残念だったな。ストレートフラッシュだ」
「あ、あの、わたし……ロイヤルストレートフラッシュ、です」
「うわっ、本当だ! しかもスペード!」
外は雨が降り続いており、空もどことなく暗い。
窓にはてるてるぼうずがつるされていたが、効果のほどは見られず、心なしか、てるてるぼうずの顔が今にも泣きそうなものに見えた。
そろそろ首をちょん切られてもおかしくないし、気持ちはわからなくもない。
「くっ……」
「ふふ、環、またあなたがババよ」
「ふっ。まだ勝負は決まったわけではなくてよ。翔子、次はあなたがカードを引く番ですわ」
「えいっ! よし。今度こそあが――」
「うふふふふ……まだまだですわね」
「すごいな、あの二人」
「ええ。もう七十回くらい繰り返していますね」
「なんか、僕たちの方が置いてけぼりにされた気さえしてくるよ」
それにしても、何で私たちトランプ三昧なのだろう?
「外、ずっと雨だからね」
それって何か関係あるのでしょうか?
私には理解できそうになかった。
†
誠司と小夜ちゃんが夕食の準備をしてくれている。
一時は浅宮さんが「美由紀を呼んだほうがよかったかな? でもたまにはゆっくりしてもらいたいし……」なんて葛藤していたのだけれど。
そんな折、早坂兄妹が自分たちに任せてと言わんばかりに夕食を作り始めたのだ。
実際、二人の料理の腕は、お金を取れるレベルではないにせよ、家庭の料理としては十分すぎるほどだと思う。
それだけではない。この兄妹、何気に家事全般得意だったりする。誠司には、とある欠点もあったりするけど。
家庭的で、お嫁さんにほしいと言われること請け合いであろう。いや、誠司は男の子なのだけれどね。
ちなみに、私はダメ。食べる専門。
そのあたり、浅宮さんや翔子や環も同じらしい。
そして完成した夕食は、やっぱりいい出来で。
翔子たちとテーブルを囲むのは新鮮だったけれど。
みんなの評価もやはり高かった。
その様子を早坂兄妹はうれしそうに眺めていた。
夕食が終わり、くつろぎのとき。
翔子と環は満足そうな笑みを浮かべて向かい合っていた。
「それにしても、誠司が料理できるなんて知らなかったなぁ」
「ええ。そうですわね。それに、なかなかの出来でした」
二人は恍惚の表情を作って、
「ぜひともお嫁さんにほしいわね」
「同感ですわね」
……えっと、どっちを?
†
そういえば、結局部屋割りはどうするの?
お風呂上りでぬれた髪をタオルでふきながら私は言う。
そう。結構肝心なその点がまだ決定していなかった。
客間はあるが、さすがに一人一部屋というわけにもいかないだろう。
まあ、本日は誠司の両親はいないので、彼らの部屋を使わせてもらうという案もあるのだろうが、ちょっとはばかられる。
いえ別に、以前その部屋で“夫婦生活の彩り”の数々を発見してしまったからではないのですけどね?
違うっていったら違うんです!
閑話休題。
ちなみに、早坂家にご厄介になっている間、私は小夜ちゃんの部屋でいっしょに寝ています。
とりあえず、いくつか案はあるけど。
そう言って私は案を提示した。
1・客間に二人、誠司の部屋に一人(ランダム)。
2・私も含めて四人でくじ引きして、客間、小夜ちゃんの部屋、誠司の部屋のどこに寝るかを決定する。
3・いっそのこと小夜ちゃんも含めて全員で誠司の部屋に突貫。
「何なのさその案! 特に三番目!」
何故か誠司は激昂していた。
いいじゃないですか。女の子だらけでハーレムですよ? 大人になったらお金でも出さないと味わえませんよ?
「そういう問題じゃないよ! 大体、全員で眠れるほど部屋は広くないし!」
むぅ。ちょっとツッコミどころがずれてるような気がするけど。それじゃ、もう一つ。
4・いっそ全員女の子になってパジャマパーティ。ビバ、誠司ちゃん。
「もっとダメ!!」
えー。でもそれじゃ面白みがないじゃない。
ほら、翔子と環も頷いているし。
「いらないから! 面白みなんていらないから!」
誠司はなかなか必死だった。
必死すぎて、ちょっとくらりとしていた。何とか持ち直したようだったが。
この様子だと、やはり実現は難しいのかもしれない。
「若菜、せっかくあたしが誠司にぴったりそうなサイズのネグリジェ持ってきたのに、無駄になっちゃいそうね」
そうね。残念。
「いやもう何から言ったらいいのかわからないけど、とりあえず問い詰めたい。正座させて小一時間ほど何を考えているのか問い詰めたい」
だって、そりゃあ、やっぱりネグリジェは基本でしょう。浅宮さんはひらひらのネグリジェとか拒みそうだけど。結構似合うとは思うのだが。
ちなみに、ここで、実は小夜ちゃんも『誠司ちゃん』推進派だという事実を突きつけたら、ショック受けるんだろうなぁ。やっぱり。
いえ、別に私がじわじわと洗脳したわけじゃないのですけどね。本当でございますですよ。
結局のところ、部屋割りは無難な線で落ち着いた。
それがあたりまえだとは思ったのだけど、ちょっぴりつまらないと思う自分もいた。
まあ、問題が起きるよりはいいのかもしれないけれど。
でもやっぱりちょっと残念だ。誠司ちゃんが見れなくて。
――思えば、そんな他愛のないことを考えていられた季節は、なんて幸せなことだったのだろう――
†
夜中、つい目がさめてしまった私はのどの渇きを覚えた。
水でももらおうと階段を下りると、ダイニングキッチンのほうに明かりがともっていた。
先客がいるのかと思い、そちらに向かう。
そこには、誠司と浅宮さんの姿があった。
「あ、若菜も目がさえたのか?」
私の姿を見つけた浅宮さんは軽く手を挙げた。
「二人とも、何をしているの?」
「多分、若菜とそんなに変わらないと思う。夜中に目がさえてしまったものでね。ついでに何か飲みたくなったんだけど、ここにきたらすでに誠司がいたんで、誠司に珈琲を淹れてもらっているところ」
その発言に、私は一瞬思考が凍った。
「悪いこといわないから、誠司に珈琲とか淹れてもらうの、止めた方がいいわよ」
「若菜、それどういう意味さ?」
少し不機嫌そうに誠司が言う。
その理由は、本当に、説明するまでもないことだというのに。
「言葉どおりの意味よ」
誠司が珈琲を淹れると、いつも変な味になってしまう。そう。これが家事全般得意なはずの誠司の、欠点。
それはもはや、ある意味才能の域といえるのかもしれない。うれしい才能ではないだろうが。
浅宮さんは誠司の淹れた珈琲を一口含んで、顔をしかめていた。
「これは……なんかどろっとして、苦くて、なんというか、確かにヘンな味だな」
珈琲は好きなんだけどな。珈琲は……。
そう呟いて苦笑しながらも、浅宮さんはその液体をこくり、こくりと嚥下する。
「それでも、飲めないわけじゃないな。ちょっと、飲みづらいけど」
少し苦しいフォロー。何より、浅宮さんのその表情が説得力を奪っている。
誠司はどこか落ち込んでいる様子だった。
「うう……美味しく淹れられるよう工夫とか、努力はしてるんだけどな」
努力は認めるのだが、結果に結びつかなければ意味がないのではないだろうか。
「次こそは、次こそは美味しく淹れてみせるから!」
ぎゅっと強く握りこぶしを作って再戦を求める誠司。
対する浅宮さんはふっと微笑んで、
「そうだな。そのときにはまた飲ませてもらうよ。誠司のを」
……えっと。
なんかイケナイ想像をしてしまうのは、私が悪いのでしょうか?
†
結局まだ寝付けなくて、私たち三人はリビングにいたりして。
明日に響くかもしれないけど、明日は日曜日なのでさしたる問題もない。
「雨……まだ降っているな」
浅宮さんはガラス戸から外を眺めてぽつり、呟いていた。
「しょうがないわよ。梅雨時だし。大丈夫でしょ。やまない雨はないっていうし」
数秒の沈黙の後、外を見たままで浅宮さんはまた呟いた。
「そうだな。降っている雨はいつかやむ。沈んだ日はまた昇るし、昇った日は沈んでいく。それは、わかってる。わかってるけど……」
何故か、私にはその呟きが沈痛なものに聞こえた。
どうしてそんな風に聞こえたのか、私にはわからなかったけれど。
雨はなおも激しく、窓や戸をたたいていた。
今は夜で、だから関係ないはずなのに、暗雲が立ち込めているような錯覚を覚えて。
だから私は、はやく空が鮮やかな青を取り戻せるように、祈ったのだ。