さりとて平凡なる日々

 

 

「ミーコ、ミーコ」

 ぼくはミーコを呼んでみた。

 ミーコは気まぐれだから、呼んでもこないこともある。

 そのときはそんな気分なんだろうと割り切って考えるからあまり気にしてはいない。

「呼んだ? ご主人様」

 ミーコがやってきた。

 綺麗な黒髪にみみがぴこっと飛び出ている。

 おしりからはしっぽが飛び出している。

 あたりまえか。ミーコはネコなんだから。

「ん。ちょっとそばにいて欲しい気分になっただけ」

 ミーコはうにゃんと鳴くと、すっとぼくのそばに来る。

「これでいい?」

 ミーコはその大きな目でぼくの顔を覗き込むように見つめてきた。

 ぼくはミーコをそっと引き寄せると、そのままそっとキスをした。

「うにゃ…。ご主人様、大胆……」

 ミーコは顔をほんのり赤らめる。

「ミーコのことが大好きだからだよ」

「うにゃあ……」

 ミーコは照れくさそうにごしごしと顔を洗った。

 きっと明日は雨だ。

 

 

 

 受け皿にミルクを注いでミーコに渡した。

「はい、ミーコ。ミルクだよ」

 ミーコはそれを受け取ると、両手でミルクの入った受け皿を持ってそれに口をつけて器用に飲んだ。

「それから、はい、ごはんだよ」

 ぼくはキャットフードの缶をミーコに渡した。

 この缶は缶切りがなくても開けられるタイプなのでミーコにならあけられると思う。

 ミーコは缶切りを使えてないのでさすがに缶切りが必要な缶の場合はぼくが缶を開けてあげているが。

 果たしてミーコはうまく缶を開けて中身を先ほどまでミルクが入っていた受け皿にあけた。

 それからミーコはおいしそうにごはんを食べていた。

 きちんとスプーンを使いこなしていた。教えたかいがあったと思う。

 今度はお箸の使い方も教えてあげたい。

 

 

 

「ミーコ」

 ぼくは呼んでみた。

「ミーコ、ミーコ」

 聞こえているはずだと思う。

「ミーコ、ミーコ」

 五回呼んでもこないときはそれ以上呼ぶのを止める。

 ミーコは気まぐれだから、こんなときもある。

 それでも、ぼくからあまり離れていない場所にいる。

 それがわかっているから、そんなには気にしない。

 

 

 

「ご主人様ぁ……」

 ミーコは潤んだ目でぼくを見つめている。

 でも、ぼくはひるまない。

「だぁめ。ミーコもお風呂に入るの」

 一転して、ミーコはぷうっとふくれた。

「ご主人様のイジワルぅ……」

 こんなふうにむくれているミーコもかわいい。

「お風呂、キライなのに……」

 ミーコは涙目になっていた。

「でも、お風呂に入らないと汚くなっちゃうよ?」

「でもぉ……」

 ここで、いつも言っていた台詞を今日も言う。

「ちゃんとお風呂に入ったらなでなでしてあげるから、ね?」

「なでなで?」

「そう、なでなで」

 ミーコはう〜、とうなってから、

「わかった。お風呂、はいるよ。でも……」

 ミーコは少し顔を赤くした。

「えっちなこと、しないでよ……?」

 そのしぐさがかわいくて、ついついイジワルしてみたくなる。

「あれ? ミーコってそんなこと期待してるんだ。えっちだねぇ」

「そそそ、そんなことないもん!」

 ミーコは顔を真っ赤にしてわたわたとあわてだした。

 その様子がかわいくて、おかしくて、ついぷっと吹き出してしまった。

「うにゃう……。ご主人様、やっぱりイジワル……」

 そのまま二人でお風呂に入った。

 お風呂の温度はすこしぬるめ。ぼくにはものたりないがミーコはこれくらいじゃないとだめらしい。

 それから、ミーコの身体を洗ってあげた。せっけんのあわはあまり好きじゃないみたいだったけど、それでも洗ってあげているときは実に気持ちよさそうな表情を浮かべてくれているので嬉しい。気持ちよさそうにしてくれていると、ぼくとしても優しくていねいに洗ってあげているかいがある。

 お風呂から上がるときはちゃんと身体を拭いてあげる。それからミーコは首をぷるぷると振ってみみに入った水を出そうとするのだが、それで完全に水が飛ぶはずがなく、一通りぷるぷるさせてあげたあと、あらためてみみの中を拭いてあげる。

「うにゃにゃ……」

 このときに見せるミーコの陶酔したような顔は何度見ても見飽きない。

 それから、パジャマを着せてあげる。

 下着をつけることくらいはできるようになったらしい。

 ミーコはネコだけど、身体が毛で覆われていないみたいなので、こうやって何かを着せてあげないと調子を崩しやすいのだ。

 もちろん、しっぽを出すあなはあいている。

「ご主人様……」

 ミーコは潤んだ目でぼくを見つめてきた。

「はいはい。ちゃんと覚えてるよ」

 ぼくは約束どおりミーコになでなでしてあげた。

「にゃうぅん……」

 ミーコはきもちいいと言っているかのように鳴いた。

 

 

 

 ミーコはベッドにちょこんとすわっていた。

 ぼくはミーコのとなりにすわる。

 ミーコの首につけられた鈴が、涼やかな音を奏でた。

 それは、ミーコと出会ってからちょうど一年目にぼくがプレゼントしたものだ。

「ご主人様は、幸せですか?」

 不意に、ミーコはそんな事を訊いてきた。

 だけどぼくは、その問い掛けよりもミーコの瞳に映った不安げな眼差しのほうが気にかかった。

「うん。幸せだよ」

「それは、どうしてですか?」

「ミーコがいてくれるからだよ」

 それは確かに、偽りのない真実。

「それじゃあ、わたしはここにいても、いいの? ずっとここにいても、迷惑じゃないの?」

 ミーコは涙を浮かべていた。

 おそらく、それが本当に訊きたかったことなのだろう。

「迷惑なんかじゃ、ないよ」

「本当に?」

「ああ。本当だよ」

 しばしの静寂。そして、

「よかったよぅ」

 そう言って、ミーコはぽろぽろと涙をこぼした。

 ぼくはそんなミーコがいとおしくて、そっと頭をなでた。

 

 

 

「ミーコ」

「うにゃ?」

 ミーコは『どうしたの?』とでも言うようにぼくの顔を見上げた。

「どうして、今日に限ってあんなことを訊いてきたの?」

「みゃう……」

 ミーコはぼくを見上げた。その瞳からは一筋の涙がこぼれた。

「心配に、なったの。ご主人様はわたしがいて迷惑なんじゃないかって。それで、わたしはまた捨てられるんじゃないかって」

 そういえば、ミーコは路地裏で捨てられていたのをぼくが見つけたんだっけ。

 そうか。ミーコはそんなことを心配していたんだ。

 ぼくはミーコの頭をやさしくなでた。

「にゃ…、ご主人様?」

「心配しなくて良いよ。さっきも言ったと思うけど、ぼくはミーコがいることを迷惑だなんて思っていないし、それに……」

 ぼくはおもいっきりミーコを抱き寄せた。

「うみゃっ!」

 ミーコはおどろいたのか、そんな声をあげた。

「ぼくは、ミーコのことが大好きだから」

 たぶん、愛しているから。

 ミーコは、確かにネコだけど。

 ぼくは、ミーコを、一人の女性として、愛しているから。

「だから、ミーコが、いやだーって言っても、ぜったい、ぜーったい、ミーコを放したりしてやらないからな」

「うみゃう…。わたしはいやだーなんて思わないもん。だって……」

 ミーコはぼくに肩を寄せてきた。

「わたしも、ご主人様のことが、大好きだから……」

 そんなミーコがとてもかわいくて、ぼくはついイジワルを言ってみたくなった。

「そのわりには、呼んでもこないときもあるけどね」

「うにゃ……、そ、それは、そんな気分な時もあるだけだもん」

 ミーコはぷぅっと頬を膨らませた。

「ご主人様、やっぱりイジワルだよ」

 ミーコはそっぽを向いてむくれてしまった。

「はは……ごめん、ミーコ」

 ミーコはそっぽを向いたままだった。どうやら、かなり機嫌を損ねてしまったらしい。

「……まいったな……」

「……でもね」

「えっ?」

 

 チュッ。

 

 たとえるなら、そんな音。

 ミーコからの不意打ち。

 ぼくは思わずあっけに取られた。

 呆然としたぼくを見て、ミーコはけらけらと笑った。

「大好きだから、これでおあいこだよ」

 しばらくして、ぼくは我にかえる。

「ミ…ミ、ミーコっ!」

「あは、ご主人様の顔、まっかっか」

「そういうミーコだって真っ赤じゃないか!」

「だって、ちょっと恥ずかしかったもん」

「ぼくだってそうだよ!」

「だから、しかえし、だよ」

 そのとき、ぼくの中で、何かがとんだような気がした。

「ふふ……。ミーコぉ」

「にゃっ! ご主人様、そのわきわきとした手のうごかしかたはなぁに?」

「今日は寝られると、思うなよっ!」

「え……にゃ……、きゃんっ♪」

 

 きっと、ずっと、いつまでもぼくとミーコはこんな変わらない日々を過ごしてゆくのだろう。

 これは、そんな日々の中の、平凡な一日。

 

 


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