さりとてこんな一日

 

 

 ぼくはいまだ重いまぶたをゆっくりと開いた。

 まだ少し眠い。

 昨日、休みなしでいっぱいがんばったせいかもしれない。

 隣を見ると、ミーコがあどけない寝顔ですーすーと寝息を立てていた。

 それがあまりにも可愛らしくて、ぼくはそっとミーコにキスをした。

 ミーコは起きなかったけれど、その顔が楽しそうなものだったから、ぼくは嬉しかった。

 途端、ぼくの口からあくびがもれた。

 どうやら、まだ寝たりないらしい。

 ぼくはそのまま二度寝を敢行することにした。

 

 

 

 頬に、生暖かい何かが触れた。

 少しざらついた感触さえ覚える。

 果たして、それはミーコの舌だった。

 ぼくは緩慢にまぶたを開ける。

「あ、ご主人様、起きた」

 ミーコがほっとしたように言う。

「うん。おはよう、ミーコ」

 ぼくはそう言ってミーコの耳をなでた。

 ミーコは恍惚としていた。

 と、不意打ちのようにある音が鳴った。

 その音を形容するならこんな感じであろうか。

 

 ぐうううぅぅぅ

 

「にゃ……」

 ミーコの顔が真っ赤になる。

 ぼくがミーコを見ると、ミーコは真っ赤な顔のままで首をぶんぶんと横に振っていた。

「ち、ちがうよ。今の、わたしじゃないよ」

 やっぱりその様子が可愛らしくて、ぼくはくすくすと笑みをもらした。

 それを誤解したのか、ミーコは先ほどにも増して首を激しくぶんぶんと横に振っていた。

 ぼくはゆっくりと起き上がった。

「それじゃあ、ごはんにしようか」

 ミーコは何故か頬をぷっくりとふくらませた。

「うにゃあ……さっきのは、わたしじゃないもん!」

「はいはい。わかっているよ」

 やっぱりミーコは可愛いネコで、女の子だった。

 

 

 

 ミーコと二人でまったりとしていると、突然呼び鈴が鳴った。

「うにゃ、おきゃくさま?」

「そうみたいだね」

 ぼくはうちに来た客の対応のため、玄関へと向かった。

 そして玄関の扉を開いた。

「よう、元気してたか?」

「…………」

 そして玄関の扉を閉めた。

「ちょっ、オイ! 冗談はやめてあけろー!」

 鍵もかけた。

 チェーンロックも忘れない。

 用心するに越したことはない。

 防犯とはこういう小さなことから始まるのだ。

「こら、てめえ! それが親友に対する態度か!?」

 ぼくは何も聞こえない。

 潤という友人はぼくにはいない。

 そのまま踵を返して、ぼくは再びミーコとまったりした一日を過ごそうとした。

 その時、ガシャンという聞こえてはいけないような音が聞こえてきて、慌てて振り返ると自称親友が扉を開けていた。

「よう、遊びにきてやったぞ」

「ちょっと待て! 今、どうやって開けた!?」

「二人の友情の前に障害はないのさ」

 そう言いながら、手は何かを示すようにくいくいと動いている。

 ピッキングで入りましたといわんばかりの動きだ。

 いや、玄関の鍵はそれでいいのだが(勝手に開けられていいはずはないが)、チェーンロックはどうしたというのだろう?

「そしてこれはミーコちゃんにおみやげ」

 疑問はさわやかに無視された。

 仕方がないのでそのおみやげとやらを見た。

 イカとアワビだった。

 とりあえず、問答無用で殴っておいた。

 どっちもネコには有害だってわかっているくせに。

 

 

 

「おーす、ミーコちゃん、元気してたか?」

 潤は元気よく手をあげてミーコに声をかけていた。

 当のミーコはぼくの後ろに隠れて、顔だけをちらちらと見せていた。

 その際、ミーコはパタパタと激しく尻尾を振っていた。

 余談だけど、ネコは不機嫌なときに尻尾を振ります。

「ミーコちゃん、照れちゃって。愛いやつよのう」

 ああいう脳回路をしていたら、きっと人生幸せばっかりなんだろう。

 ミーコの激しい睨むような視線を受けながらそんなことが言えるなんて。

 というか、ファーストコンタクトであんな事をやっておいて、嫌われていないと本気で思っているのだろうかこの人物は。

「ミーコちゃん」

 よせばいいのに潤は顔をさらに近づけ、挙句の果てには引っ掻かれていた。

 それを見て溜飲を下げたのはここだけの秘密。

 

 

 

「きゃはははは! ……にゃっく」

 少しだけ、席を外しただけだった。

 その間にミーコから目をはなしていたぼくが悪かったのだろうか?

 ミーコは酔っ払ったかのようにやけにハイになりながらそこらを駆けずり回っていた。

 ぼくは威嚇するかのように潤を睨んだ。

「まさか、またたびでも与えたんじゃないだろうな?」

「うんにゃ、酒をのませた」

 もしかしたら、こういった瞬間に、人は人に対して殺意を抱くのかもしれない。

「ごしゅじんしゃまぁ、ごひゅじんひゃまぁ」

 ミーコは真っ赤な顔でぼくに擦り寄ってきて、ぺろぺろと身体をなめ始めた。

「ちょっとミーコ、くすぐったいんだけど……って、そこはだめだって!」

 二人きりなら構わないのだが、さすがに潤がいる今はまずい。

「って、こんなところでぬいじゃダメー!」

「だぁってぇ……にゃくっ。あついんらもぉん」

「おー。ミーコちゃんってば大胆だな」

 潤はそんなことなどおかまいなしに面白そうに手を叩いていた。

 こちらの気も知らずに。

「せっかくだからお前も飲め。つまみにイカとアワビもあるぞ」

 その二品は、ミーコへのみやげとか言っていた品と同じものだろう。

「まったく、あんまり調子に乗るなよな」

 睨みながらぼくは言った。

 潤はそれを受け流すように答えた。

「大丈夫だ。さすがに冗談になるものと冗談にならないものの分別はちゃんとできている」

 そのときの潤の顔は、いつものように飄々としたものではなく、真剣な表情だった。

 だからぼくは安心した。

 真剣な表情のときの潤は、信用が置けるから。

 だがすぐにその顔は悪戯っぽく変わる。

「それに、まあ、なんだ。馬に蹴られる趣味はないんでな」

 ちょっとだけどきりとしたが、すぐにぼくはため息をついた。

 こいつは、こういう奴だ。

「でも、できれば、ミーコにお酒をのませることもしないでほしかったんだけど」

「ごひゅじんひゃまぁ」

 ミーコは真っ赤な顔でぼくの背中にぐたりと乗っている。

「まあいいじゃん。役得だと思えよ」

 別に酒の力に頼らずとも乗られたり乗ったり(?)していることもあるのだから、と思ったけれど、それを言ったらかえって潤を増長させる要因になりかねないと思ったので、口に出すのはやめておいた。

「ごひゅじんしゃま、わらひね、ごしゅじんひゃまのこと、だーいすきだよ」

 ミーコはぼくのことをぎゅうっと抱きしめてきた。

「うん。ぼくもだよ」

 そう言ってミーコを軽くなでた。

「ほうほう。仲のいいことで」

 そのとき、潤の存在を忘れて、二人の空間を繰り広げてしまっていたことに気づいた。

 ひょっとしなくても、ばっちり見られたことだろう。

 ……いっそ消すか。

「なんか今、お前とんでもないこと考えてなかったか?」

「いや、別に」

 そこでふと、先ほどまで強く抱きしめていたミーコの力が弱まったことに気づいた。

 寝息が聞こえてくる。

 どうやら、酔って寝てしまったらしい。

 寝子、とはよく言ったものだ。

「ちょっと、ミーコを寝かせてくる」

 ぼくがそう言うと、潤は何を考えたのかニヒヒと笑った。

「寝ているのをいいことにイタズラするなよ」

「するわけないだろ!」

 潤がいるときにするわけないし、二人だけだったとしてもミーコが寝ている間になんか……。

 ごめんなさい。ちょっとはしていたかもしれません。

「まあいいや。戻ってきたら酒に付き合え」

「はいはい」

 ぼくはそう空返事して、ミーコを寝室へと連れて行った。

 背中に感じる重みと、ミーコの、女の子の甘い香りが心地よかった。

 寝室についたぼくは、ミーコをそっと寝かせた。

 ミーコは軽く身じろぎする。

「ごひゅじんしゃまぁ……だいすき……」

 ミーコは寝ながらそんな事を言ってくれた。

「はいはい。ぼくもだよ」

 そんなミーコがこの上なく愛しくて、ぼくはそっと、触れるだけのキスを交わした。

 

 今日は本当にとんでもない日だった。

 だけど、まあ、たまにはこんな日があっても悪くないかもしれない。

 これは、そんな事を思った、こんな一日。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、変わったな。いや、戻った、とでもいうべきか」

「…………」

 ぼくは何も言わない。いや、言えない。

「あのときのお前は、今にも死んでしまいそうな顔、してたからな」

「……否定は、しないよ」

 外と、心の中で激しく雨が降り注いでいたあの日。

 あのときにミーコに出会わなければ、ぼくはそれから遠くない内に、きっと自らその命を絶っていた。

「だけど、ミーコは代わりでも何でもない。おかしいって言われるかもしれないけれど、ぼくはミーコを愛してる」

「世間的にはおかしいってわかっているわけだ」

 ぼくは頷いた。

 親友は軽蔑するわけでもなく、むしろ優しささえうかがえる微笑みを浮かべていた。

「それでも止められないなら仕方ないんじゃないか? その場合はきっと、世間のほうが間違っているんだ」

 親友はグラスに酒を注いだ。

「式を挙げるときには呼べよ」

「唐突だね」

「唐突だろうがなんだろうが構うか。それに、例えおおっぴらには公に出来ない式でも、友人はいないよりいたほうがいいだろ?」

 親友は笑った。

 ぼくもつられるように笑った。

 今ぼくが笑えるのは、きっと、あの愛しい女の子のおかげ。

「手放すなよ」

「手放しはしないよ。絶対に」

 その言葉を乾杯の挨拶代わりにして、ぼくたちは互いのグラスをぶつけた。

 カチン、と小気味よい音が響いた。

 


戻る




100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!