私は新婦控え室のドアの前に立つと、軽く二回ノックをした。
 中から聞こえてきた返事を聞くと、私はその中に身を躍らせる。
 そこには、すでにあらかた準備を終えたらしい新婦の姿があった。
 薄く青色を帯びたドレスは、風を受けて今にもふわりと舞いそうに見えた。
「綺麗ですね……」
 思わず、口をついて出た言葉。
 その言葉に、新婦は照れている様子を見せていた。
 しかし、その言葉に嘘はない。
 ドレスに身を包み、薄く化粧を施された彼女の姿は、まさに『綺麗』という言葉が似合っていた。
「いよいよ、ですね」
 新婦は私の言葉にこくりと頷く。
 そう。いよいよ、その時が迫っているのだ。
 そのことに、やはり新婦も緊張しているのだろう。
 がちがちに固まっているように見えた。
 
 だから、私はそんな彼女を優しく抱きしめた。
 そのまま彼女の頭を優しくなでる。
 少しずつ、彼女の緊張がほぐれていくのがわかった。
 十分に緊張がほぐれたところで、私は身体を離す。
 そして、新婦の肩を軽く叩いて微笑んだ。
「さあ、行ってきてください」
 新婦は頷いて、控え室を出て行った。
 その背中を見送った後、私は控え室の中でしばらくぼんやりとしていた。
 やがて私は、ぽつりと小さく呟いた。
 
「――兄さんが、待っていますから」
 
 
 
 
 
 私はそっと目を閉じて、自分の花嫁姿を夢想する。
 が、すぐに止めた。
 なんというか、相手役の顔が思い浮かばない。
 いや、まったく思い浮かばないというわけでもないのだが。
 しかし、それは空想にしか過ぎないだろう。
 少なくとも、現行の法律はそれを許可してはくれない。
「これでは、お兄様にブラコンって言われても、仕方がありませんね……」
 私はただ苦笑した。
 
 
 
 
 
 何時までもぼんやりしているわけにもいかないので、私も式場へと向かう。
 その途中で、私は、ひとりの女性の姿を見かけた。
 あまり面識のあるわけではないその横顔は、どこか弱々しく見えた。
「どうかしましたか?」
 放っておけなくて、私は彼女に声をかけた。
 彼女は私の声にびくりと反応したが、私の顔を見ると無理矢理作ったらしい笑顔を浮かべた。
「なんでも、ありませんよ」
 その嘘は、きっと自分自身も騙せてはいないのだろう。
 その証拠に、
「それなら、どうしてあなたは泣いているんですか?」
「あ……」
 彼女は、その瞳から涙をこぼしていたのだから。
 彼女はそれでも無理矢理笑顔を作り、涙をぬぐう。
 しかし、涙は途切れる様子を見せようとはしなかった。
「おか、おかしいですよね。こんなの……」
 彼女は、あはは……と無理のある乾いた笑い声を上げていた。
 
「――おかしくなんて、ないです」
 だから、私は、彼女を抱きしめ、その背中を優しくなでた。
 私が子供だった頃、お母様があやしてくれたように。
 それを甘受しているかのように、彼女の耳はぺたんと寝かせるような状態になっていた。
 
 しばらくそうやっていると、彼女の気持ちが落ち着いてきたようだった。
 それにしても。私は思う。
 今日一日で二人――どちらも同性――を抱きしめたりしてしまったけど、お兄様がこれを知ったら変なうわさを立てたりしないだろうか。
 男避けにはなるかもしれないが、まずそんなことになったら処刑が先になるだろう。
 と、今日がめでたい日であることを思い出して、首を小さく振る。
 
 ……そう。今日は結婚式。
 もっとも、私は主役ではなく、参加者の一人に過ぎないが。
 
「ありがとうございました。もう、大丈夫です」
 彼女はそう言ってゆっくり身体をひきはなした。
「そうですか。それでは、一緒に行きますか?」
 そんな私の誘いに、しかし彼女は首を横に振った。
「こんな顔のまま、顔を出すわけにはいかないでしょう?」
 見れば、その顔には涙の跡が残っていた。
「心配しないでください。後から必ず行きますから、澄乃さんはお先に」
 その顔は、確かにまだ涙の跡は残っていたけれど、少しだけ、前進することはできたと思いたい。
 私は「わかりました」とだけ言って、彼女と別れ、先に式場に向かった。
 
 
 
 ――兄さんが、そこにいる。
 
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇

 
 
 
 
 
 
「………………」
 私は、何を考えているのだろうか。
 わからない。
 きっとふたりは幸せになる。幸せにしてくれる。
 それはわかっている。
 でも、何かが私の心の中にしこりを作っていた。
 式場に行かなくちゃならないとは思うのに、その足は根付いたかのように動こうとはしない。
 そうしてそこにしばらく張り付いていると、
「どうかしましたか?」
 と、誰かの声が聞こえた。
 その声に驚いて声の主を見る。
 そこには、潤様の妹さんの姿があった。
「なんでも、ありませんよ」
 とっさに私は作った笑顔を浮かべ、なんでもないことをアピールした。
 その、はずだったのだけれど。
「それなら、どうしてあなたは泣いているんですか?」
「あ……」
 言われて、気がついた。
 私の視界が滲んでいる。
 私は流れ落ちる涙をぬぐった。
 しかし、涙は途切れる様子を見せようとはしなかった。
「おか、おかしいですよね。こんなの……」
 私はただ、無理のある乾いた笑い声を上げることしかできなかった。
 
 そんなとき、ふわっと、
「――おかしくなんて、ないです」
 そう言って澄乃さんは、私を抱きしめ、その背中を優しくなでてくれていた。
 本当に、それは優しくて。
「………………」
 気づけば、私は目を閉じて、その温もりに包まれていた。
 
「ありがとうございました。もう、大丈夫です」
 私はそう言ってゆっくり身体をひきはなした。
「そうですか。それでは、一緒に行きますか?」
 そんな彼女の誘いに、しかし私は首を横に振った。
「こんな顔のまま、顔を出すわけにはいかないでしょう?」
 きっと、私の顔には涙の跡が残っていることだろう。
 もしかしたら、それは言い訳でしかないかもしれないが。
「心配しないでください。後から必ず行きますから、澄乃さんはお先に」
 まだ、完全にまとまったわけではないけれど、先ほどよりはましになったと思う。
「わかりました」
 そう言い残して、澄乃さんは先に式場へと向かっていった。
 
 
「結婚……してしまうのですよね……」
 呟いてみても、その言葉には、どうにも実感がわかなかった。
 私はまだ、ふたりに「おめでとう」を言えそうにない。
 
 
 
 
 
 
 普段、荘厳なる雰囲気をかもしだすであろう教会は、やはり、その雰囲気を変える事はなかった。
 華やかな音が響く中、牧師は主役の到来を待っていた。
 私は軽く目をつぶり、呼吸を整える。
 と、
「フルールさん、ですの?」
 後ろから、そんな声がかけられた。
 その声には、どこか聞き覚えがあった。
 私は振り返る。
 果たして、そこにいたのは私の予想したとおりだった。
「シトラスさん……おひさしぶり、ですね」
「ええ。おひさしぶりですの」
「どうして、ここに……?」
「あら、どうして、とは随分とごあいさつですの。あえて言うなら、潤さまのお姿を拝見しに、でございますの」
 耳がぴくり、と動いた。
 以前は遠坂様と呼んでいたが、清也さんや澄乃さんがいる現状、遠坂様では紛らわしいからと言っていたが、おそらくそれだけではないだろう。
「それにしても、おめでたい席だというのに、ずいぶんと場に合わない表情をしていますのね」
「それ、は……」
 隠していた、つもりだった。
 だが、それはどうやらこうも簡単に見破られてしまうものらしい。
「ご不満なら、いっそここでぶちこわしにする、という手段もあるのでは、と思いますの」
「え……?」
 私は、信じられないものを見るような目でシトラスさんを見た。
 彼女の口から、そんな発言が飛び出してくるなんて思いもしなかったから。
「そんなこと、しません。私は、異論なんてあるわけないんですから」
 そう。異論なんて、あるはずが、ない。
 ふたりは幸せになる。幸せにしてくれる。
 それなら、私はただ、ふたりの幸せを願うだけ。それだけなのだ。きっと。
「なら、少なくともその表情をおやめなさい。そんな顔をされたら、きっと困ってしまうですの」
「………………」
 私は再び目を閉じ、余計な思考を抑えつける。
 余計なことを考えるのはやめよう。
 私は目を開けた。
 ただ、これだけは許されるだろうか。
「シトラスさん。この式が終わったら、ちょっと付き合ってください。すごくお酒を飲みたい気分ですから」
「それは……いえ、わかりました。ぜひともお付き合いさせていただきますの」
 彼女は、ふっと柔らかい笑みで私を見た。
 だから、その瞬間だけかもしれないけれど、私は心から笑えた気がした。
 
 
 やがて、賛美歌と共に本日の主役が姿をあらわした。
 ……私は、ちゃんと笑えているだろうか。
 
 
 
 
 
 
「それでは指輪の交換を」
 牧師の声を合図にして、指輪の交換が行われた。
 潤様は、いつになく真剣な顔をしている。
 それは診療所で時折見たことのある表情に近いものがあったような気がした。
 やがて、たどたどしい手つきながら、新婦の指に、銀色に輝く指輪がはめられた。
 指輪の交換を終えたとき、大きな拍手が鳴り響いた。
 
 
 
 何かがこみ上げてくる。
 目頭が熱くなる。
 いけない。泣いてはいけない。
 わかっているのに、止めることが出来ない。
 私は、くぐもった嗚咽をもらしていた。
 
 
 
 涙の理由はわかっていた。
 大切なひとが、手の届かない遠くへ行ってしまいそうで、悲しかった。
 だけど、それ以上に、ふたりを素直に祝福できない自分が嫌で嫌でたまらなかった。
 
 
 
 気づくと、音が止まっていた。
 思わずきょろきょろとあたりを確認する。
 ひとがいなくなったわけではない。
 そして、すぐに気づく。
 新郎と新婦のふたりが、真っ直ぐ私のことを見ているということに。
 いや、ふたりだけではない。みんなの視線が私に集中していた。
 とはいえ、それは刺すようなものではなく、どこか温かみをふくんだものだった。
 私は反射的に壇上にいる潤様に目を向けた。
 やはり、潤様は一言も発することなく、私を見ていた。
「どう、して……」
「わかりませんの?」
 後ろから、小さく、声。
「フルールさん、あなたからの祝福の言葉を待っているのですわ」
「私、の……?」
 彼女はこくりと頷く。
「ええ。他でもない、フルールさんからの言葉を。わたしは正直、うらやましくさえ思いますの」
 私はもう一度ふたりを見た。
 ふたりは私の言葉を待っている。
 ひとつぶ、涙がこぼれおちた。
 でもそれは、さっきまでの涙とは違って、どこか、嬉しさを感じさせるものだった。
 
 この、結婚式の最中も私のことをずっと思ってくれていたのだということが、伝わってきたから。
 だから、今なら、言えるような気がした。
 
 大きく息を吸い込む。
 目を閉じて、飛び跳ねそうな心臓を落ち着かせ、目を開いた。
「結婚、おめでとうございます」
 途端に拍手が沸き起こった。
 潤様は優しげな眼差しで私を見てくれていた。
 私の胸にあたたかいものが流れる。
 
 
 
 もう一度、今度は心の中で。
 
 結婚、おめでとうございます。
 ――どうか、末永くお幸せに。
 
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇

 
 
 
 
 
 
 立食パーティーの席にて、見知った姿を見かけ、オレは駆け寄って声をかけた。
「潤、おつかれさん」
「ああ、本当に疲れたよまったく」
 潤の表情は言葉とは裏腹にどこか嬉しそうなものだった。
「確かに『式を挙げるときには呼べよ』とは言ったが、牧師――神父だっけ? まあ、そこらへんはどっちでもいいや――の真似事をさせられるなんて思ってもみなかったからな」
「でも、結構貴重な体験だったろ?」
「そりゃあな。普通はそんな体験なんてしないだろうし」
 潤はそこで大きく伸びをして、深呼吸した。
 そしてあらためてオレを見る。
「だけどさ、俺にとっては、兄貴や澄乃、そういえばシトラスも来てたっぽいけど、そっちの方がびっくりだ」
「なんだ、来たらいけなかったのか?」
「いや、そうじゃないけどさ。こういう言い方をするのはどうかと思うけど、兄貴達と健児って関係ないだろ?」
 オレは首を横に振った。
「潤の親友なんだろ? なら、十分関係者だよ」
 潤は首をかしげながら、
「そういうもんか?」
 そういうものだ。  
 
 
「そういや、フルールさん、式中に泣き出してたよな」
「今まで実の妹のように可愛がっていたからな。何か思うところがあったんだろう。俺だって、兄貴や澄乃が結婚するときには似たようなことを思うかもしれないしな。まぁ、さすがにあんなふうに泣き出しはしないとは思うが」
「なるほど」
 オレはともかく、澄乃が結婚する姿なんて想像もつかないが。
「これが、あいつらにとってのひとつの終わり。そして新しい始まりになる。生きるということは、そういった、始まりと終わりを繰り返すことなのかもしれない。そう、俺は思うんだ」
「ああ。オレもそう思うよ」
 と、ふと気になったことを訊いてみることにした。
「そういえば、潤は結婚しないのか?」
「“今は”まったくその気がないわけじゃないけどな。ま、そこらへんはおいおい考えるさ」
「ふうん。じゃあオレはそろそろ嫁探しでもするかな」
 少しばかり意地の悪い笑み。
 それは、彼女達に代わって小さく仕返しを含んでいた。
 
 何気なく周りを軽く見回す。
 この式には、オレたちの他にも何人か来ていた。
 潤の話によれば、彼らは学生時代などの友人だという。
 自然、オレは目を細めていた。
 潤がこの街に固執した理由がよくわかる気がした。
 この街は、あたたかくて、やさしい。
 
「潤さま! 清也様!」
 ずいぶんと慌てた様子でシトラス嬢が駆け寄ってきた。
「フルールさんが、フルールさんが、ワインを口にした途端……」
 それ以上は言わなくてもわかった。
 潤も深刻な面持ちで頷いている。
「それで、澄乃様がお相手をなさっているのですが、失礼を承知でお聞きいたしますの。澄乃様は人間ですか? いえ、あそこまで大暴れするストラグルキャット種であるフルールさんとまともにやりあえているのがどうにも信じられなくて……」
「そうなんだよな。それは世界の謎になりそうだ」
「同感」
 本人に聞かれたら恐ろしいことになるのだろうけれど、それでも言わずにはいられなかった。
 だから命知らずなんだなんて言われてしまうのだろうけれど。
 
「ま、放っておくわけにはいかないよな」
 そう言って、潤はあらかじめ持参していたカバンから注射器と麻酔液、さらに吹き矢を取り出していた。
 潤はこういう事態が起こるものだとすでに確信していた、と推測するのはさすがに早計だろうか。
「いくぞ、ミケさん!」
 そう言って潤は、最近知り合ったという猫を頭の上に乗せると、渦中へと身を投じていった。
 それを見届けながら、オレは手にしていたワインをくいっとあおった。
 
 
 
 
 
 まあ、とりあえず。
 どうにもこうにも、最後まで、きまらないやつらだと思った。
 
 
 
 
 
 
診察終了
彼等のお時間

 
 
 
 
 
 



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