仔雉の日記
〜渇水編〜
あたしの名前は…仔雉。この億万都市の…大江戸で大工の棟梁やってる…十七…あ、いや違う十八歳だ。 よろしく…って……今は満足に自己紹介もできないや…。
「暑いですねぇ…」
「暑いわぁ……」
「………」
あたしと友人の良猿と犬井はあたしの部屋でこの灼熱地獄に苦しんでいた。
「どうしてこんなに暑いんだろ…」
「さぁ、わかりません。もし医学が発展したらまず暑さから逃れる方法を見つけて欲しいです…」
町医者の良猿も白衣を汗でビチョビチョに濡らしていた。いつも博識で涼しい顔をしてたまに薬を間違える奴だが、こんだけ暑いとやはり何もする気が起きないらしい。つーか良猿、アンタ汗かきすぎ。アンタの座ってる畳一枚だけ水分で変色してるって…。
「もぅぅ…暑くて暑くて…。暑死しそう…」
「焼死と言えよ…」
女形で真性オカマの犬井も汗をダクダクたらし、どっからか持ってきたタライの水に足をつけて壁にもたれていた。いつもいつも神経を逆なでする喋り方をする奴だが、今回ばかりはムカつく気力も沸かない。
「つーか、なんでアンタらあたしの部屋にいんのよ」
狭い所で固まったら余計暑くなるじゃん。
この二人は、一年前秋廼の沖で一緒に遭難したことがきっかけで付き合い始めた(友達関係としてね)友人だが、最近は暇なのか毎日遊びに来るようになった。たまにあたしの留守中にこの部屋で勝手に宴会を開く事もあった。んー、すごーく慣れ慣れしい奴等だが何故かとっても憎めない連中なのでそのまま今の関係を続けてる。
が、こんな暑い日に来られた日にゃ、アンタらの体温で部屋がいつもより数度上昇しちゃってるわよ!
「まぁ、いいじゃないですか。暑さを共用して暑さをごまかしましょう」
いや、良猿。お前が暑い暑い言うから余計暑いんだって。自分が一番汗だーだー出てるし。
「そうよぉ。ほら、水でも飲んで落ち着いて」
そう言ってタライの水を渡す犬井。おい、それお前が足浸けてた水だろが。飲まないわよ!
って…なんかカッカしてたら喉が乾いてきちゃった…。今日水を飲んだ回数が既に二桁超えてる気がする。多分体重かなり水で増えてんだろうなぁ。ちょっと憂鬱、普段体重なんて気にしないけどさぁ。
でも体重云々より、今はとりあえず水。喉がすでに塵砂のように渇いてガリガリと痛い。声を出すのも億劫だ。
あたしはフラフラとした足取りで、軒下においてある水がめを開けた。まだ結構水が残ってたはず…。
「……無い」
中はすっからかんかんかんかん。
「無いぃぃぃーーーーーーーー!?」
うそぉ! あんなにあったはずの水が無くなってる? あたしが最後に飲んだのは半刻前でその時はまだ水がめの中には半分弱残ってたハズ…。え? なに、新手の神隠し? 江戸の真ん中で? んなワケないか。
しかし水泥棒とは度胸あるな…、この灼熱地獄であたしの水を盗んだ事を後悔させてやる。そう! あたしこそ、名探偵仔雉! 体は女だけど職業は大工! この連続(決め付け)水がめ強盗事件を大工で鍛えたこの頭脳で見つけ出して成敗してやるわ! 犯人はじっちゃんだ!(決めゼリフね)
と、あたしがカラになった水がめの前で探偵を志してると、汗を手ぬぐいでぎゅうぎゅう拭いている犬井が、
「あ、その中の水こっちに使ったからぁ」
と、自分の足元にあるタライを指差した。
「犯人はお前かぁぁ!!」
あたしは一気に脱力した。てゆーか、あたし何を考えてたんだろ。探偵? なんやそりゃ。暑すぎて頭が働かないせいで変な事ばっか考えてるのカモ。カモといえば鴨鍋…あー、鍋なんて想像すんじゃない。暑すぎる。
くそ、犬井…。あたしの大切な水を自分の足のために使いやがって…。五寸釘で手のひら打ってやろうかしら。
「犬井…アンタなんてことしてくれたの…あたしの水…」
「だから、このタライの水飲んでいいって言ってるじゃなぃ。あたしが足浸けてただけだからぁ、別に毒じゃないわよぉ」
「そういう問題じゃないっつーの!」
あたしから出た怒りの声は喉の渇きのせいでガラガラだった。喋るたびにあたしの乙女数値が下がってゆく気がしてる。
しかし犬井は男のクセに乙女数値鰻のぼりな綺麗な声で「ちっちっ」と唇をすぼめて指をふる。
「じゃあ言わせてもらうけどぉ、仔雉たんは銭湯には行くぅ?」
戦闘? …いやあたしは武士でも機動戦士乗りでもないけど…あちがう、銭湯だ。何を間違えてるんだあたし。
「銭湯ならよく行くけど…」
すると犬井はふふんと口の片方を吊り上げた。むっ、なんかやな感じ。
「銭湯はぁいろんな人の肢体をその一つしかない大きな湯船で包むわよねぇ?」
犬井は自らの華奢な体を抱くようにいやらしく話しだした。女形特有の色気を出しながら話してんなコイツ。うちの馬鹿弟子どもに見せたら一発で惚れるだろうなぁ、弟子が。
「で、仔雉たん」
「へい」
「仔雉たんはぁあたしのタライが飲めないのにの大勢の人が浸かった銭湯の湯にはなんで入れるの?」
…は?
「仔雉たんは何で銭湯は良くて、あたしのタライは駄目なのぉ?」
いや、でも『浸かる』と『飲む』は凄い違いだよ?
「銭湯だってあんなにお湯があれば飲んじゃうことだってあるじゃない」
いや、そうだけどさ…。でも根本的に何かが違うでしょ。うん、根本的に。
でもこの根本がちょいと説明しづらい…。犬井は犬井で黙ってるあたしを見て『どうよ?』と無言で勝利宣言している。コイツ眼力が鋭いから、ニラまれると心を見透かされてるような気分になるのよ。
くっ、なんかいい反論が思いつかない。あととても暑い。喉がカラカラ…。
と、すでに暑さのせいで全体の一割が黒くなってる視界の端に、会話に参加してなかった良猿を捉えた。相変わらず汗の量が尋常じゃない。
「良猿! アンタも何とか言ってやってよ!」
すると良猿はその言葉に答えてくれたのか、汗だらけの顔を犬井に向けた。
「犬井さん、仔雉さんはこう言いたいんですよ」
「なによぉ?」
「鼻水はすすれるけど、鼻をかんだちり紙は舐めれない」
ガツーンっ。
あまりのアレな例えにあたしの頭が床の一番硬い部分にめりこんだ。
なんでよりによってそんな汚い例えするんだ良猿! いや、少し納得できちゃうけどさ!
「なるほどぉ。確かにそれは嫌ね」
「でしょう? 仔雉さんがいいたかったことはこういうことで…す…よ……」
ん、なんだか良猿の体がおかしい方向に? 良猿の体がゆっくりゆっくりと床との角度を落としてゆく。
ぱたり。
「良猿?」
「良猿たんっ?」
うわぁっ、良猿が倒れた! 先ほどから尋常じゃないほど汗をかいてたし、顔色は彗星よりも赤かったからダメかもしれないと思ってたけど…、やっぱりダメだったみたい。
「良猿! アンタ大丈夫!?」
慌てて駆け寄ると、良猿は半目で口は半開きで半々丁々といった感じだ。半々丁々…? なんだそりゃ。自分の思考も結構おかしい事になってるわ。
とりあえず………どうすればいいんだろ? くそっ! こんな時良猿が居れば適切な処置を教えてくれるのに……。って倒れてんの良猿だったわ。あーもう、医者が倒れてどーすんのよ!
「仔雉たん。まず意識を確認するのが常よぉ」
おっ、そうだったそうだった。あたしは良猿に呼びかける。
「良猿! アンタ意識はある!?」
ぱくぱく。
良猿は魚みたいに口を動かしてる。
意識朦朧としてるみたいだが、かろうじて口は動くみたい。
何を言ってんの…?
「…………」
「良猿?」
「………姉チャマ…」
………………………は?
そこで良猿は目を閉じた。
頬を叩いてももう反応しない。意識を失ったようだ。
………姉チャマ?
こいつは暑さと意識の淵で何を言ってんだ?
「それが遺言ねぇ」
「犬井、シャレにならないからやめろ」
戯言吐いてる犬井はほっといて…、良猿を何とかしないと…!
顔を触ってみると凄い熱! もちを置いたら一気に膨らみそうで恐い。って、置こうとするな犬井! 思いついたらすぐ行動なの? アンタは!
「とりあえず…! 水っ、水がいるわ!」
水がめの水はなくなっちゃってるから…、ここは良猿には悪いけど犬井の足漬け水タライを使うしかない!
「犬井! タライの水使うわよ!」
「うん、緊急事態だからねぇ! 使おぅ使おぅ」
えーっと…手ぬぐいどこだっけ? 、こういう時は手ぬぐいを水で浸して冷やしてほてった部分に置いておけばいいんだよね。良猿ほどじゃないけどこういう応急処置ぐらいならあたしでもできるから…。
「良猿たん〜、しっかりしてー」
ざばぁー。
いぬーーーーーーーーーい!!
お前コラァ、何タライの水全部良猿にぶっ掛けてんのよぉぉーー!
「あれー? 良猿たん全然良くならないわよぉー?」
当たり前でしょ! こういう時は水をちょっとづつ使って時間をかけて解熱させるもんでなのよ! そんな火を消すみたいに熱を下げることなんてできるワケないのよ! だいいち、その水アンタが足浸けてたからぬるくなってるし!
まさに焼石に水だわ! いやそれはちょっと違うか?
それはともかく!
「あーあ、びしょびしょ〜」
いやぁー! しかもあたしんちの畳をびしょびしょにしやがったぁ! 半年前に畳み替えたばっかなのにぃ〜!
は! そういや良猿は!?
「……」
顔色は相変わらず真っ赤。
あーもうぅ! 水は全部なくなっちゃったし! 井戸から汲んでくるしかないわね…。
「犬井! アンタ井戸から水を汲んできて!」
「え〜、めんどくさい」
「汲んでこーい!!」
多分、この時のあたしは、自分の大工弟子をマジでボコボコにしてた時より恐い顔だったと思う。あーちなみに誤解してもらわないでほしいけどいつもいつも弟子をボコボコにしてるわけじゃないからね。
犬井は明らかに嫌そうな顔をしたが、今回は素直に外へ出た。はやく水を汲んでくるのよ……。
あ、ちょい待て。
「犬井! 井戸はそっち右に行ってすぐだからね!」
「はぁーい」
危ない危ない。あいつ左行こうとしてた。
………。
んで、ちょいと経って。
「行って来たわよぉ」
「水汲んできた!?」
「ううん」
コラァァァーーーー!!
てめぇナニさらっと返してんだ! 本当に殺すわよ!
「水汲もうと思ったんだけど、汲めなかったのよ。なんか井戸が制限されちゃっててぇ〜」
えっ、制限? マジで?
「川なら大丈夫かなぁって思ったんだけどぉ、川も制限されちゃってたぁ」
えーっ。 八方塞がりじゃん! どーすんのよ…。良猿…。
さすがに良猿の容態も悪化してきた。先ほどからぜぇぜぇ言ってて明らか苦しそう…!
あーもう…どーすればいいのよぉ…。今、観音様(菩薩様でも可ね)がどんな願いでも叶えてくれるなら間違いなくあたしは良猿のための水を頼むわ。観音様もそういう願いなら叶えてくれそうそうだし。
「良猿たん…」
苦しそうな良猿を見て、犬井もさすがに顔が青くなっていた。眼つきも鋭くなってさっきから歯で唇をかみ締めている。……これは多分演技じゃない。もしかしたら自分が至らない事をしたために…って思ってるのかも…。
と、その時。犬井が決心したように立ち上がった。その顔は先ほどとはうってかわって責任感に満ちた顔だ。
「仔雉たん」
え?
「裏ワザ使うわよぉ」
裏ワザ? 伊東家がどうかした…って今は冗談言ってる場合じゃないっての。
「裏ワザって何…?」
「いいから、良猿たんを担いでぇ。秘密の水があるところに案内するから」
え………。秘密の水…? そんなんあるの?
犬井に案内された場所は、犬井が座長をしている芝居小屋だった。
すこしくすんだ木の柱に赤緑黒といったけばけばしい染布がひらひら付けられている。
「犬井、ここ…」
「ついてきてぇ」
犬井は汗まみれを江戸紫の着物を震わせるように走り、銀色の鍵を取り出して芝居小屋の入り口横関係者入り口の戸を開けた。芝居小屋のほうはさすがに今日は休演している。あたりには誰もいなかった。
関係者入り口に入っていく犬井を、あたしも瀕死の良猿を担ぎながら慌てて追う。
というか本当にここに水があるの? 中は熱がこもっていてサウナみたいに暑いだけど…。
あたしが背中にしょってる良猿ももうそろそろ限界? 熱が背中越しに伝わってきてマジであたしも死にそうになってきたんだけどさ…。
「こっち、こっちよ」
ひょいひょいひょいって犬井はどんどん奥に行く。んで着いたのは…。
舞台だった。
「ちょっと、ここ舞台じゃない…」
「そうよぉ」
舞台から伸びた花道に段々と棚田みたいに設置された客席。犬井の舞台は見たこと無いけどコイツはいつもココで女を演じてんのね…。普段も女だけど。
舞台の中央で犬井は足を止めた。舞台に立つ犬井はなんだかとても凛としていて、まるで野原にひとつだけ力強く咲いた花のように見えた。改めてこのほわんほわんしたオカマが舞台役者なんだと気付かせられる。
「仔雉たん」
「なに?」
一指し指を一本立てる。ん、どゆこと?
「水はここよ」
いや、舞台に水なんてないでしょ…。
「ここっ」
ん…、舞台じゃないの………、まさか…。てんど…もとい。
「天井!?」
「そぉ」
犬井がにんまりと微笑んだ。その微笑みはあたしが感じる不快感がまったく無い微笑だった。
舞台の袖裏にあった天井への梯子を昇る。あたしは良猿を担ぎながらだけど、伊達に大工の棟梁やってないわ。高いところや梯子昇りはあたしの得意分野なのよ。
大体、三階ぐらいの高さかな? 結構昇るわね…。
「ここにある水は防火用の水なのよぉ」
「防火用?」
あたしの上を昇る犬井が口を開いた。
「ほらぁ、火事ってぇ断罪モノでしょ?」
そりゃ常識ね。火事は大江戸でも頻繁に起きる災害だけど、それで受ける罰の規則はとても厳しい。江戸追放なんてまだマシな方で、酷い時には『死刑っ!』ってこともある。そこまでしなくても…って思うかもしれないけど江戸での家屋はぜーんぶ木だから仕方が無いの。一回火事になっちゃうと、その周辺の家はあたしら大工の思いもむなしくぶっ壊される。燃え移っちゃうと大変だから。
「『芝居小屋から火が出た』なんて言われちゃったら、あたしら社会的に抹殺だからねぇ。仲間達みーんな路頭に迷うしかないのよぉ」
うわぁ、重い話だなぁ…。ん……。で、でもっ。
「そんな防火用の水…使っちゃっていいの? その水はアンタにとって命みたいなもんでしょ?」
すると犬井。
「良猿たんをそんな風にしちゃったのはあたしにも責任があるしねぇ」
……いや。ぜーんぶアンタのせいなんだけど…。でも雰囲気的に口には出さない。
「あたしの命なんかで良猿たんが助かるならいくらでも差し出すわぁ。だって良猿たんはお友達だもん」
……………凄い。
仲間の命のほうは無視してるけど(酷ぇ)、自分を犠牲にしてまで助けようとするなんて。
なかなかできるような事じゃないわ。
しかも命をかける理由が『友達』という一点だけ。
あたしはこの時、この瞬間。心の奥で何かを感じた。
なんというか…。犬井の言葉を忘れてはいけない。そして、この感じを、この感情を…忘れてはいけない…。なにかに急かされるような気分。
あたしにとって文章なんてモノは読むでさえ難しくましてや書くなんてどう考えても無理だと思ってた。
だけど今あたしは毎日この日記をつけている。なんで…?
多分…、あたしが毎日この日記をつけてる理由は……。もしかしたら、このときの感情感覚を忘れないようにしようとしている為かもしれない。
そして…この感情を誰かに知ってもらいたい為なのかも…………。
いやそれは無いか? だってあたしのこの日記、今は誰にも読まれたくないもん。恥ずかしいし!
あー話がそれちゃった。とりあえず日記云々は今は置いといて…。舞台の天井裏まで行った話。
天井裏をのぞいてみると意外にもそこは明るく綺麗なところだった。ほこりっぽいと思ってたが手入れや掃除は行き届いてて普通に生活できそう。
まぁいいや。それより今は肝心の水…。
「仔雉たん。これこれぇ」
犬井が天井裏の一角を指差す。そこには…。
「うわぁ!」
木の板が敷き詰められた天井裏に吊るされるように設置された。タタミ三畳分もある木の水槽。そしてその中には外では制限されてまで切り詰められていた水が…いーっぱい!
凄い! 芝居小屋の天井にこんなに水があるなんて。大工のあたしも初めて知ったわ! こんなふうになってたんだ…!
「凄いでしょ。仔雉たん」
「凄いわ! アンタ、この水…使っていいの!?」
「もちろんよぉ」
天井裏の水槽の水は、水がめの水が軽く十杯は入る量。これだけあればいくら使っても大丈夫だね!
「さぁっ、良猿たん貸して」
「うん、はいっ」
あたしは背中に担いでた良猿を犬井に渡した。
犬井はそれを受け取ると、そのまま水槽の中に良猿の体を
「えいっ」
ざぶーん。
投げ込むなぁぁぁぁぁーーーー!!
犬井アンタさっきのこと全然反省してないでしょ! オイ! いや反省してたわよね!? 反省しただけ? まさかなにが悪かったのか分かってないの?
「今度は大丈夫よねぇ?」
「いや、大丈夫じゃないっての! 対処法まちがってんのよっ。犬井!」
コイツは本物の馬鹿かっ?
「大丈夫よぉ、良猿たんも伊達に医者やってないのよぉ。結構体は丈夫だから大丈夫でしょ」
何処にそんな根拠があるの! あいつも普通の人間なのよっ。
って………。
………。
……。
…。
犬井…。
「……良猿が浮いてこないだけど……」
水槽の水面はどんどん穏やかになっていきキラキラした水面から見えるのは、底でゆらゆら水に揺らめいたままの良猿の体と白衣…。
「………」
「………犬井?」
「……………良猿たん、溺れたぁ?」
うおぉぉぉぉぉぉい!! さっさと助けろぉぉぉ!
「犬井! 良猿を水から引き上げるわよ!」
あーもう! 犬井も良猿も世話が焼ける奴だわ!
あたしは犬井の返事も聞かずに水槽の中に飛び込んだっ。水槽の深さはあたしの膝ぐらいでそんなに深くない。立ち上がると良猿の所まで移動…、
ばきっ。
…え、なに。今の亀裂音。すごくヤな予感。
そういや今思ったけど、ここの水槽…。意外とお粗末な木でできてるのよね…。しかもコレには普段水しか入れてない。しかもただでさえ水がいっぱい入ってたのに良猿の体がの体重分が足されていて…。そして今あたしが勢いよく飛び込んじゃった。
ばききききっ。
亀裂音はあたしの水に使った足の裏から響いてた。うん、絶対あたしの足元から鳴ってるよ、コレ。
ねぇ、犬井。この水槽の重量制限…。良猿の時点でギリでした…ってこと、ないよね? ないよね? ないよね? ないよね? ないよねっ!?
あたしは自信ないわ…。
ばききーーーーんっっ!!
「やっぱりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
「ちょっ、仔雉たん!?」
きゃぁー、嫌な予感大的中。やっぱり水槽の強度があたしと良猿の体重に耐え切れなかった!
水槽は底から亀裂が入り木々は裂けバキバキバキと破壊していく。足の感触を通して、底が破壊していくのがわかっちゃうわ。んで水槽の水は裂けていった木々の間から噴出。
そしてヤバいことにこの水槽は天井裏に吊るされてるように作られてた。
底が破壊されたらその下にあるのは舞台。
…つーわけで、あたしの体は舞台の天井裏から投げ出されたわけで…。もちろん良猿の体も投げ出されたわけで…。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
三階相当の高さから超落下っ。
「今回はこんなオチかぁぁぁぁぁ!!」
あたしのいつもの悲痛の叫びは、普段より共鳴していたような気がした。芝居小屋だったからかなぁ?
で、オチもついたところで、いつもの後日談。
三階相当の高さから落ちちゃったあたしだったけど、幸い大工の経験上高いところから落ちるのには慣れていたので大事には到らなかった。これも『手に職!』のおかげね。ん、ちょっと違うか? まぁいいや。
んで。あたしとともに落ちたはずの良猿。こっちはあたしと違って本当に運がいい。水槽の裂けた木と柱に長い白衣が引っかかって、天井裏から落ちなかった。いつも思うけどこいつの強運はどっから来てるんだ…?
んと。それで防水用の水を勝手に使おうとして水槽を破壊しちゃった犬井。コイツは今回マジで犯罪っぽいことやってしまったのだが…。お上や仲間に気付かれないうちに器用に事実を揉み消しやがった。
そらアカンだろ! って言ったんだけど犬井曰く、そういうことは誰でも良くやってることだと。むー、こいつ常識はよく分かってないクセに変な所だけ世間慣れしてやがる。マセたガキよりタチ悪いわ!
はぁ…。
この日はあたしが日記をつけ始めた記念すべき日だった。
んー…でも…。今思えばこんな日に日記をつけ始めちゃった為に、その後のあたしの日記の内容が落語家もびっくりの奇なるお話ばっかりになっちゃったのかもしれない…。
まぁその話は、また機会のあった時に。
―――仔雉の日記〜渇水編〜 終わり
予定では原稿用紙10枚ぐらいで終わらせるつもりだったのに…。
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